J-PARCセンター
2015年9月8日
【追悼】 渡邊昇先生 ご逝去にあたって

  パルス中性子科学の礎を築き、その発展に世界的に貢献された渡邊昇 高エネルギー加速器研究機構名誉教授が2015年8月19日にご逝去されました。 (享年82歳) 

  突然のご訃報に接し、私たちJ-PARC MLF (物質・生命科学実験施設) グループ一同は痛惜の念に堪えません。先生のご生前の笑顔と熱意のこもったお仕事ぶりが、昨日のことのように思い出されます。

  渡邊先生は、1967年より東北大学原子核理学研究施設で電子リニアックを用いたパルス中性子源を世界のパイオニアの一人として完成させ、中性子散乱による物質材料研究を進められました。1980年には高エネルギー物理学研究所 (現高エネルギー加速器研究機構) において世界初の中性子散乱用核破砕パルス中性子源KENSを完成させるのみならず、それを利用する中性子科学研究施設の立ち上げや運営にも尽力され、大きな功績を残されました。

  私たちMLFグループとの出会いは1996年、当時まだ黎明期であった大強度中性子源に関する大型プロジェクトの推進のために日本原子力研究所 (現日本原子力研究開発機構) に移って来られた時でした。

  先生は、水銀ターゲットから実験装置に至るまでの中性子線源全般に渡って造詣が深く、先見の明に溢れている方でした。当初から短パルス型の中性子源に長所を見出し、その開発に尽力され、MLFの建設を主導されました。度々出現した様々な課題に対しても常に前向きで、我々に前に進む勇気を与え続けてくださいました。

  モデレータ開発において、液体水素、しかもパラ水素に着目した中性子源を実現したことは先生の最大の功績の一つです。液体水素は放射線損傷を伴わない唯一の材料ですが、過去に使われてきたメタン等の材料に比較して水素密度が低いため、中性子強度を高くできないことが問題でした。水素モデレータの周囲に軽水を結合させた予減速機能を考案し、その性能を最大限に引き出すモデレータシステムを作り上げたことで、MLFは2009年に300kWの陽子ビーム出力においてパルスあたり世界最大の中性子強度を達成することができました。

  MLFはまさに先生の研究人生の集大成といえますが、そのMLFの中性子ビームラインの1本に先生のお名前を付けることができたことを、私たちは誇りに思っています。

  先生は、よくご自分のことを3割バッターであると仰っていましたが、私たちにとっては、先生は常に10割打者でした。この先MW出力の中性子源を実現するにあたり、先生のさらなるご指導をまだまだ期待しておりました。

  今、先生の教えは、日本のみならず世界で脈々と受け継がれています。先生の功績はあまりにも偉大で、その背中を追うのは容易なことではありません。しかし、先生が人生をかけて築き上げられた中性子科学を、我々が引き継ぎ、さらに発展させて参りたいと思います。

  渡邊先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
  
     J-PARC MLFディビジョン一同 

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