MLF月間報告2016年06月

研究成果

BL08 高ナトリウムイオン伝導体の高温構造

  • 東京大学
  • 京都大学
  • 高エネルギー加速器研究機構

ナトリウムイオン電池の正極材として最近開発されたNa2.5Fe1.75(SO4)3の高温構造とナトリウムイオン分布をSuperHRPDで調べた結果、[001]方向にナトリウムイオンが伝導するチャンネルを見出した。(Chem. Materials 28, 2393 (2016))

BL12 金属強磁性体SuRuO3のスピンダイナミクスとワイルフェルミオン

  • 高エネルギー加速器研究機構 伊藤晋一, 遠藤康夫, 横尾哲也, 井深壮史
  • 理化学研究所 遠藤康夫, 金子良夫, 高橋圭, 十倉好紀, 永長直人
  • 基礎科學研究院 Je-Geun Park

SrRuO3は、ペロブスカイト型の結晶構造をとり、磁性原子であるRuがほぼ単純立方格子に配置される金属強磁性体である。キュリー温度TC(強磁性転移温度)は165Kであり、4d電子系の中で強磁性を示す珍しい例である。また、鉄をはじめ、多くの立方晶強磁性体では磁気異方性が小さく、スピン波はほとんどギャップレスであるのに対し、SrRuO3は大きな磁気異方性を示す。異常ホール伝導度が温度や磁化に対して非単調に変化することもSrRuO3の特徴のひとつである。

SrRuO3の特徴的な点は、そのバンド構造にある。強磁性体では、交換分裂により、↑スピンと↓スピンのバンドに分裂する。そのため、フェルミエネルギー以下の↑スピンと↓スピンの数が異なり、その差が磁化を与える。分裂したバンドが、反対スピンを持つ別のバンドと重なる場合、一般的にはスピン軌道相互作用によりアンチクロスしてギャップを生じるが、ある運動量に対してはギャップが閉じてバンド交差を起こす。バンド交差におけるエネルギー分散は、相対論的量子力学を記述するディラック方程式で質量をゼロとおいたものと数学的に等価な構造を持つので、この電子状態は、ワイルフェルミオン(質量がないと考えられていたニュートリノを記述しようとしたもの)あるいは質量のないディラック電子と呼ばれる。このバンド交差に対するベリー曲率は運動量空間でのモノポールの磁場の関数型で表現され、モノポールの仮想的な磁場が異常ホール効果の起源となる。実際、SrRuO3の異常ホール伝導度の非単調な振舞はこの描像でよく記述できる[1]。すなわち、SrRuO3にはモノポールという仮想的な磁場が働いているが、我々は、この仮想的な磁場をスピンダイナミクスとして検出するために、中性子非弾性散乱実験を行い、スピン波を観測した。

SrRuO3は、中性子非弾性散乱実験に必要な大型の単結晶試料の合成がごく最近まで成功していなかった。我々は、多結晶試料のSrRuO3を用いて、J-PARC・MLFのBL12に設置された高分解能チョッパー分光器HRC[2]で、中性子ブリルアン散乱実験を行った[3]。多結晶試料のスピン波の散乱強度は、運動量ゼロ近傍のみが残り、運動量が大きくなると粉末平均によって急速に減衰する。運動量ゼロ近傍を観測する前方散乱近傍の中性子非弾性散乱を中性子ブリルアン散乱と呼ぶ。中性子ブリルアン散乱の実験条件を実現するためには、低散乱角(前方散乱近傍)で、高いエネルギーの中性子を入射し、高分解能を実現し、中性子散乱の運動力学的限界に迫る実験条件で実験する必要がある。HRCは同種の分光器に比べて低散乱角に中性子検出器が配置されていて、高いエネルギーの中性子を高分解能で利用できるので、今回の実験に必要なエネルギー運動量空間にアクセスすることができた。この空間は、MLFではHRCのみがアクセスできる。

SrRuO3の多結晶試料を用いて、HRCで中性子ブリルアン散乱実験を行い、スピン波のエネルギーを温度の関数として正確に測定した。その結果、図1(a)に示すように、スピン波のエネルギーは、温度に対して非単調な変化をすることが明らかになった。また、非単調な温度変化をするスピン波のエネルギーは、非単調な異常ホール伝導度(図1(b))の関数として表わされることを見いだした。金属強磁性体における異常ホール効果は、電子状態の量子力学的な位相であるベリー位相の効果で生じる現象であり、異常ホール伝導度はベリー位相で表現される。ベリー位相は、これまで、スピントロニクスの研究において、輸送現象で議論されてきたが、今回の実験結果は、輸送特性以外の現象、すなわち、スピンダイナミクスとして捉えることができることをはじめて示したものである。この成果は、スピンダイナミクスの研究に新しい視点を与えるものであり、大きな学術的意義がある。

本研究は、Nature Communicationsに掲載された[4]。また、2016年6月17日付け科学新聞で取り上げられた。

参考文献
  1. Z. Fang et al., Science 302, 92 (2003).
  2. S. Itoh et al., Nucl. Instr. Meth. Phys. Res. A 631, 90 (2011).
  3. S. Itoh et al., J. Phys. Soc. Jpn. 82, 043001 (2013).
  4. S. Itoh, Y. Endoh, T. Yokoo, J.-G. Park, Y. Kaneko, K. S. Takahashi, Y. Tokura, N. Nagaosa, Nature Communications 7, 11788 (2016).

図1 HRCの中性子ブリルアン散乱実験で測定したSrRuO3のスピン波のエネルギーの温度変化(a)とSrRuO3の異常ホール伝導度の測定値(b)。(a)の実線は(b)を用いて表わされる理論曲線、(a)の点線は磁化の温度変化、(b)の実線は実験値を表現するためのものである。横軸は温度(T)をキュリー温度(TC=165K)で割ったもの。縦棒は実験誤差。スピン波のエネルギーの温度変化が磁化の温度変化に一致しないことが、内部磁場以外の要因が働いていることを示している。

BL20 超イオン伝導体を発見し全固体セラミックス電池を開発

  • 東京工業大学
  • トヨタ
  • 高エネルギー加速器研究機構
  • J-PARC
  • 茨城県

世界最高のリチウムイオン伝導率を示す超イオン伝導体Li9.54Si1.74P1.44S11.7Cl0.3とLi9.6P3S12を発見し、従来の3倍以上の出力特性を持つ全固体セラミックス電池の開発に成功した。iMATERIAを利用した構造解析により、Li9.54Si1.74P1.44S11.7Cl0.3が従来のLGPS(リチウム・ゲルマニウム・リン・硫黄)系固体電解質とは異なり、室温においても三次元のイオン伝導経路が存在し、高い電池性能の発現に寄与していると考えられることがわかった。(平成28年3月22日プレス発表Nature Energy 1, 16030 (2016))

BL09 ヒドリドイオン“H-”伝導体の発見

  • 分子科学研究所
  • 科学技術振興機構
  • 東京工業大学
  • 京都大学
  • 高エネルギー加速器研究機構
  • J-PARC

水素の陰イオンであるヒドリド (H-) がイオン伝導する新しい固体電解質La2-x-ySrx+yLiH1-x+yO3-y(以下LSLHO)を開発し、その結晶構造をSPICAで解明した。LSLHOがK2NiF4型構造をとり、Liと陰イオンで構成されるLiX6 (X=H-,O2-) 八面体の頂点位置をO2-が、LiX4面内をH-が選択的に占有すること、x>0の組成では、LiX4面内のH-が欠損し空孔が導入されることなどを明らかにした。(平成28年3月18日プレス発表Science 351, 1314(2016))

装置整備

BL23 信号が青から赤へ

左の写真は4月の報告で掲載した「青信号」。PPS検査合格に伴い、いよいよシャッターを含むPPSインターロックの稼働が始まり、信号に命の灯がともった。6月は放射線変更申請に伴う施設検査を受審し、これで信号が赤に変わった。スタート!次は第一コーナーに飛び込むのである。

S1 ミュオン S1実験エリア μSR分光器「アルテミス」のアップグレード

物構研トピックス[1]やJ-PARC News[2]で案内したように、S1実験エリアには、ミュオンスピン緩和(μSR)測定用の分光器が、外部資金(元素戦略・電子材料)と物構研ミュオンS1型課題(2013MS01)で整備されつつある。この分光器に関して、2016年6月初旬から、検出器をアップグレードし、スペクトルの歪みと計数率耐性を大幅に向上させた。これは、KEK物構研・素核研・計算科学センタの共同開発である、Kalliope検出器[3]の、検出素子からのアナログ信号をプロセスする専用IC(ASIC)をアップグレードしたことに依る。従来のASIC(電圧アンプ型Volume2012)が300ns程度の検出器不感時間(τ)を持っていて、さらにアナログ波形歪みのため、計数率補正をかけても測定スペクトルに歪みが残っていたことに対し(図1右の黒点)、新しいASIC(ポールゼロキャンセル回路型Volume2014)では不感時間がτ=50nsに短くなり、計数率補正後の歪みもなくなっている(図1右の赤点)。このアップグレードにより、S1分光器は当初計画した性能が出たため、ARTEMIS(=Advanced Research Targeted Experimental Muon Instrument at S-line: アルテミス)分光器と名付けられた。

S1アルテミス分光器は、2013年から共同利用に供されているD1分光器と同じ電磁石・検出器筐体デザインを持つため、D1分光器にも全く同じ検出器アップグレードを施すことが出来て、計数率耐性・スペクトル歪みの大幅改善が見込まれる。この作業は、2016年7月からの夏期作業期間中に実施予定である。今回増強された計数率耐性により、MLFの1MW運転で生成されるミュオン強度でも、通常の測定試料サイズ(20x20mm程度)なら、スペクトルの歪みなく測定可能となった。

S1アルテミス分光器は引き続き、元素戦略・電子材料の研究に活躍する。

図1 標準試料(Ag)のスペクトル。理想的には平らになるが、パルス状に来るミュオンからのイベント数え落としで時間ゼロ付近が下がる(左図)。これに検出器不感時間補正理論に基づいて計数率補正を施すが、従来の検出器では、回路由来の歪みが残っていた(右図黒点)。今回の検出器アップグレードで計数率耐性が6倍に向上し(不感時間τ=300→50ns)、回路由来のスペクトル歪みが消えたことが確認された(右図赤点)。

[1] 物構研トピックス「ミュオンS1実験エリアに分光器インストール」2016/5/23
https://www2.kek.jp/imss/news/2016/topics/0523s1/

[2] to appear in J-PARC News

[3] KEKハイライト「ミュー粒子の動きを捉える目、KALLIOPE」2013/1/24
http://www.kek.jp/ja/NewsRoom/Highlights/20130124170000/

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