MLF Monthly Report 2016-12
研究成果
BL16 有機EL素子の製造プロセスにおける界面拡散挙動とその性能に対する影響
パソコンやテレビに用いられる液晶ディスプレイは、液晶の配向方向を制御することにより光の透過率を変化させ、表示する色や光の強さを制御している。ただし、液晶自体が光るわけでは無いためバックライトと呼ばれる光が必要で、薄型化や省電力化の妨げとなっている。一方、有機EL素子は正孔注入層/正孔輸送層/発光層/電子輸送層/電子注入層からなる多層構造を有しており、発光層で正孔と電子が再結合することによって自ら発光する。そのため、有機EL素子を用いたディスプレイはバックライトが不要で、薄くて軽く、かつ省電力性に優れているという利点を有する。しかし、十分な性能を有する有機EL素子の積層構造を作成するためには真空蒸着を用いる必要があり、低価格化と大面積化の妨げになっている。これを改善するためにインクジェットによる塗布成膜法が期待されているが、蒸着法で作成したものと比較して省エネルギー能や駆動寿命が低いという問題点があり、その解決のために日夜研究が行われている。
これに対し、山形大学 大久らは製造プロセスの異なる正孔輸送層/発光層/電子輸送層を中性子反射率計SOFIAで観測し、層構造の変化が有機EL素子の性能に与える影響を評価した[1,2]。この際、発光層は他の隣接する層との間でコントラストを付けるために重水素化を施している。図にサンプルの反射率プロファイルとそれを解析することにより得られる散乱振幅密度プロファイルを示す。これにより先行研究[3]で示した通り、蒸着法で作成した層は下地との界面が明瞭な上、下地の間での相互拡散が起きていないのに対し、塗布法で作成した層は下地との界面が不明瞭な上、下地との間で相互拡散が生じて混合が生じてしまっていることが明らかになった。また、同じプロセスで有機EL素子を作成し、その性能評価を行ったところ以下のような結果が得られた。
1. 電子輸送層に関しては従来の知見通り塗布法で作成した素子は蒸着法と比較して高い駆動電圧が必要であった。
2. 一方、発光層に関してはこれまでの知見に反し、塗布法で作成した素子の方が蒸着法よりも高い発光効率を示した。
その理由として、前者は発光層中の発光ドーパントが電子輸送層よりも電子との親和性が高いため、塗布法で作成すると電子が発光ドーパントにトラップされることによって性能低下が生じていると考えられる。それに対し後者は、本素子構成においては発光層中においては正孔の移動度が遅いため、正孔と電子の再結合は正孔輸送層と発光層の界面付近で主に生じるが、明瞭な界面を持つ蒸着積層では、界面に蓄積する正孔(ポーラロン)によって、発光が消光されてしまい、発光効率が低下してしまう。それに対して、塗布法では界面が広がり、界面における電荷蓄積が抑制されることで発光の消光が抑制され、発光効率が改善したと考えられる。この結果は、一般的に性能が低下すると考えられている塗布法でも条件によってはむしろ性能向上が期待できることを示しており、このような界面制御に関する知見を積み上げることによって大面積かつ低価格の有機ELディスプレイが実現できるようになると期待される。
参考文献
- S. Ohisa, Y.-J. Pu, N. L Yamada, G. Matsuba, and J. Kido, "Molecular Interdiffusion between Stacked Layers by Solution- and Thermal Annealing-Process in Organic Light Emitting Devices", ACS Appl. Mater. Interfaces 7, 20779-20785 (2015).
- S. Ohisa, Y.-J. Pu, N. L. Yamada, G. Matsuba, and J. Kido, "Influence of Solution- and Thermal Annealing-Process on Sub-Nanometer-Ordered Organic–Organic Interface Structure of Organic Light-Emitting Devices", Nanoscale 9, 25-30 (2017)>
- S. Ohisa, G. Matsuba, N. L. Yamada, Y.-J. Pu, H. Sasabe, J. Kido, "Precise Evaluation of Angstrom-Ordered Mixed Interfaces in Solution-Processed OLEDs by Neutron Reflectometry", Adv. Mater. Interfaces 1, 1400097 (2014)
図1* シリコン基板上に作成した正孔輸送層(PTPD)/発光層(EML)/電子輸送層(TPBi)多層膜の反射率プロファイル(a)とそれを解析することにより得られる散乱振幅密度プロファイル(b)。凡例のeは蒸着法で作成した層、sは塗布法で作成した層を意味している。
*Reproduced from Ref. 2 with permission from the Royal Society of Chemistry.
装置整備
BL08 14Tマグネット励磁試験
MLF BL08ビームラインにおいてSuperHRPDグループ所有の14Tマグネットの励磁試験を行った。納入後初の励磁試験であったため、電気配線、各種配線・配管、各装置の配置にかなりの時間を割いた。マグネット自身が大容量であるため、液体窒素による予冷及び液体ヘリウムのトランスファーに1週間を有した。実験準備を効率的にルーチン化する必要があり、一般ユーザーに開放するにはもうしばらく時間が必要である。オンビームによる励磁実験も行われ、バックグラウンドが低く高いクオリティのデータを収集することが出来た。現在、詳細な解析を進めている。なお、この測定の際は、米国・つくば・東海の3地点をskypeで繋ぎ、議論を進めながら測定スケジュールを臨機応変に決定していく多地点中継実験を実施し、その有用性も確認できた。
図1 Co酸化物の回折パターン。低バックグラウンドでクオリティーの高いデータが得られている。挿入図で分かるように004反射は磁場により0.05%シフトし、200反射は20%強度が減少したことがひと目で分かる。これだけの高分解能、低バックグラウンドで磁場下の粉末回折パターンを測定できる装置は世界にないだろう。
BL23 陽子スピンフィルターの開発
POLANOの建設が終了し、コミッショニングが始まろうとしている。まずは、偏極装置としてSEOPによる3Heスピンフィルターを用いて、比較的低いエネルギー領域での偏極実験を開始する。コミッショニングがすすむにつれて利用できるエネルギー領域は拡大していくが、将来、サブeV領域での偏極実験を試みる場合、陽子スピンフィルター[1]も偏極装置の有力な候補のひとつとなる。
陽子スピンが偏極した物質に対する中性子散乱断面積は中性子スピンに依存するので、この物質に中性子を照射すると、一方のスピン状態を持つ中性子のみを透過させ、中性子を偏極させることができる。これが陽子スピンフィルターである。水素を多く含む物質はその候補になるが、磁場5T、温度1Kの強磁場極低温でも、陽子スピンの偏極度は0.5%に過ぎない。一方、常磁性電子スピンでは、磁気モーメントの大きさが陽子の600倍に及び、5T、1Kで99.8%の高偏極度が実現する。水素を多く含む物質に常磁性電子を混入させ、強磁場極低温で、マイクロ波を照射することにより、電子スピンの偏極度を陽子スピンに移行させ、陽子スピンの偏極度を電子スピンと同程度まで向上させることができる。この原理(動的核偏極)により陽子スピンフィルターが実現するが、その基礎実験をすすめた。
我々は、ミシガン大学で動的核偏極装置として利用されていた5T超伝導磁石、マイクロ波導波管、NMRプローブを搭載した液体ヘリウム(4He)クライオスタット[2]を譲り受け、KEKつくばキャンパスの北カウンターホールに設置して開発研究をすすめた。マイクロ波発振器を購入し、導波管を設計して発振器を動的核偏極装置に接続し、クライオスタットをポンピングする真空ポンプを設置し、核偏極を検出するためのNMR測定系の測定プログラムを作成して、動的核偏極装置として機能するように整備した(図1)。マイクロ波発振器は、出力は20Wであり、周波数は動的核偏極の条件を与える140GHzである。クライオスタットは、ポンピングして、1Kまで冷却した。偏極標的として、厚さ0.05mm、面積180mm×80mmのポリエチレンフィルム(水素を多く含む物質)にTEMPO(常磁性電子を含む物質、C9H18NO)を数密度が1019cm-3になるように熱混入した試料を作成した。この試料に、5T、1Kで、マイクロ波を照射した。マイクロ波を照射しないときは、陽子偏極度0.5%に対応する小さなNMR信号が観測され(図2のOFF)、マイクロ波を照射するとNMR信号は大きくなった(同図ON)。NMR信号の積分強度は、ポリエチレンフィルムに含まれる陽子スピンの偏極度に比例する。マイクロ波照射により、陽子偏極度が40%程度まで向上したことを確認した [3]。
この開発研究は、我々が動的核偏極技術を手に入れ、偏極標的物質の開発環境を整備したものであるとともに、ほかの偏極原理も考慮してPOLANOで用いられる数cm角のビーム断面積の中性子ビームを偏極させるための現実的な開発研究につながるものである。なお、本開発は竹谷薫、伊藤晋一、大友季哉、横尾哲也、金子直勝、鈴木祥仁、石元茂で行っているものである。
[1] V. I. Lushchikov et al., Sov. J. Nucl. Phys. 10 (1970) 669.
[2] D. G. Crabb, et al., Phys. Rev. Lett. 64 (1990) 2627.
[3] 竹谷薫、伊藤晋一、大友季哉、横尾哲也、金子直勝、鈴木祥仁、石元茂、日本中性子科学会第16回年会、2016年12月1-2日、名古屋大学(発表では陽子偏極度20%としたが本稿に記した40%が正しい)。
解析G 「空蟬」における単結晶試料の非弾性散乱連続回転測定及び擬似的オンラインモニターの実用化
単結晶試料の3次元逆格子空間(運動量空間)上のエネルギー励起現象は、運動量エネルギー空間の4次元空間の強度として測定されるが、その際に装置の検出器配置と入射エネルギー、および試料の方位によって測定できる領域は制限を受ける。より広い4次元空間を観測したい場合、試料の方位を変化させて多数の測定を行い、それらのデータを一つのデータに統合させるという手法が用いられる。この手法は近年非弾性散乱実験における一つのトレンドとしてMLFの非弾性散乱装置でも実施される比重が高くなっている。「空蟬」はMLFのビームラインで広く使用されているイベント記録方式のデータ(イベントデータ)に対し補正処理や可視化を行うためのソフトウェア群であるが、この手法にも対応しており解析に使用されてきた。
しかし、従来の手法では試料の方位ごとに測定を行うため、実験を開始する前に測定すべき方位の範囲や分割数をあらかじめ決めておく必要があり、測定数やデータ数も非常に多くなる。さらに、目的とする領域を正しく測定できているかの判断はある程度測定を進めてから解析しないと難しいため、測定の即応性や柔軟性に欠ける。これら測定解析手法の構造的欠陥を克服するためには、比較的短時間に広い角度領域をほぼリアルタイムに測定、可視化する必要がある。そこで以下の2つの開発を軸に「空蝉」の高度化を進めてきた。
一つは試料の方位を指定した角度域で連続的に往復させながら中性子と回転情報の測定をイベント記録方式で行い、必要な角度ごとに中性子データを分解解析する手法の開発である。これは、ゴニオステージに取り付けられたエンコーダで読み込んだ回転の情報をTrigNETボードによってリアルタイムにイベントデータ化し、この情報を利用して中性子分別(フィルタリング)と非弾性散乱解析を行うものである。
もう一つは、定期的にイベントデータファイルをスキャンしイベントデータの差分のみを解析可視化する、いわゆる擬似的オンラインモニター機能の改良である。この機能自体は以前から搭載されていたが、今回はTrigNETのイベントデータを利用したフィルタリング機能を同時に行えるよう拡張を行った。
これらの基礎的な機能開発に加え、両機能を統合して使用できるグラフィカルインターフェース(GUI)を作成したことで、連続回転測定の解析と可視化を測定中にほぼリアルタイムに行うことが可能となった。
図1は擬似的オンラインモニター機能を内包した連続回転測定解析のGUIである。データ解析とスライス可視化を自動的に更新する機能が搭載されており、例えば60秒ごとにイベントデータの差分解析を行いスライスデータのアップデートも同時に行うことで、測定の進行状況を一目で確認できるようになっている(図2)。2016年12月初旬に行った初めての試験測定により動作と有用性を検証・確認した結果、多次元測定の選択肢の一つとしてユーザーに供与できるようになった。ただしこの機能は膨大なデータの高速処理にメモリを多く利用するため、ユーザーのPC環境での満足な動作は難しく、当面は装置側で用意したワークステーションでのみ動作させる予定である。ユーザーのPC環境では従来のオフライン解析のソフトウェアを利用することになるが、そのデータフォーマットコンバーターも備えており、運用に問題はない。
現在はBL01(四季)においてのみインストールされているが、同様の測定が行われるBL14(アマテラス)にも導入予定である。また今回の高度化の一つ擬似的オンラインモニターの機能拡張は非常に汎用的なものであり、TrigNETと空蝉を使用している装置ならば導入は容易である。これらの機能拡張により行える測定の幅が広がり、空蝉の利便性や生産性が大きく向上したと考えている。
図1 空蝉の擬似的オンラインモニター機能を内包した連続回転測定解析用インターフェース。メインパネルと測定情報入力パネルより構成され、データリダクションと可視化を定期的に実行する機能を持つ。
図2 動作スクリーンショット。現在測定中のデータに対し、自動的かつ定期的に解析とスライス処理を行い表示する。
論文リスト
学術誌
- Naoaki Yabuuchi, Masanobu Nakayama, Mitsue Takeuchi, Shinichi Komaba, Yu Hashimoto, Takahiro Mukai, Hiromasa Shiiba, Kei Sato, Yuki Kobayashi, Aiko Nakao, Masao Yonemura, Keisuke Yamanaka, Kei Mitsuhara and Toshiaki Ohta,
Origin of stabilization and destabilization in solid-state redox reaction of oxide ions for lithium-ion batteries
Nature Communication 7 13814 (2016)
[BL09 Proposal No.2014S10]
その他刊行物
- 伊藤晋一、井深壮史、横尾哲也、益田隆嗣、吉沢英樹、佐藤卓
HRCによる物質のダイナミクスの研究
RADIOISOTOPES 65 535-544 (2016)
[BL12 Proposal No.2012S01, 2013S01, 2014S01, 2015S01, 2016S01]
- 梶本亮一
四季による固体のダイナミクス研究
RADIOISOTOPES 65 523-534 (2016)
[BL01 Proposal No.2009A0005, 2009A0087, 2009A0093, 2012P0201, 2014I0001]
学会発表
8th International Conference on Acoustic Emission, Inauguration conference of 3IAE and 23rd International Acoustic Emission Symposium (IIIAE 2016)
日時:2016-12-06 - 2016-12-06
場所:京都テレサ,リーガロイヤルホテル京都
主催・共催:IIIAE
- Investigation of rock deformation mechanism using Neutron diffraction technique and AE signal measurement
J. Abe, K. Sekine, S. Harjo, W. Gong, K. Aizawa【poster, international, refereed】[BL11]
日本中性子科学会第16回年会
日時:2016-12-1 - 2016-12-2
場所:名古屋大学
主催・共催:日本中性子科学会
- 中性子回折によるSiO2ガラスの高温高圧下での相転移/緩和の検証
服部高典、佐野亜沙美、稲村泰弘、ヤガファロフ・オスカー、片山芳則、千葉文野、大友季哉、舟越賢一、阿部淳、町田真一、岡崎伸生【poster, domestic, refereed】[BL11]
- HRCの2016年度装置整備
伊藤晋一, 横尾哲也, 羽合孝文, 益田隆嗣, 吉沢英樹, 左右田稔, 吉田雅洋, 浅見俊夫, 杉浦良介, 川名大地, 篠崎知子, 川村義久, 井畑良明[BL12]
- HRC専用ソフトウェアYUIおよびHANAの開発と現状
川名大地, 左右田稔, 吉田雅洋, 池田陽一, 浅見俊夫, 杉浦良介, 吉沢英樹, 益田隆嗣, 羽合孝文, 井深壮史, 横尾哲也, 伊藤晋一[BL12]
- リラクサー磁性体 LuFeCoO4 における磁気励起
左右田稔, 伊藤晋一, 横尾哲也, F. Demmel, 益田隆嗣[BL12]
- 空間反転対称性の破れたCeTSi3(T=Pd, Pt)の磁気特性
植田大地, 柴田浩貴, 𠮷田雅洋, 吉澤英樹, 池田陽一, 伊藤晋一, 横尾哲也[BL12]
- 偏極中性子散乱装置POLANOの建設状況 IV
横尾哲也, 伊藤晋一, 金子直勝, 菅井征二, 猪野隆, 坂口将尊, 羽合孝文, 藤田全基, 大河原学, 池田陽一, 南部雄亮, 大山研司[BL23]
- 偏極中性子散乱装置POLANOにおける3He中性子スピンフィルターの開発II
大河原学, 藤田全基, 南部雄亮, 猪野隆, 横尾哲也, 伊藤晋一, 吉良弘, 林田洋平, 加倉井和久, 酒井健二, 廣井孝介, 奥隆之, 大山研司[BL23]
- KEKにある動的核偏極装置
竹谷薫, 伊藤晋一, 大友季哉, 横尾哲也, 金子直勝, 鈴木祥仁, 石元茂[BL23]