ハドロン実験施設

「ハドロン」とは

「ハドロン」とは素粒子・原子核物理の用語で「強い相互作用で結合した複合粒子」という意味です。身近な存在として、原子核を構成する陽子・中性子のようにクォーク3個から構成される粒子(バリオン)や、湯川博士の中間子論で有名なπ中間子のようにクォーク2個から構成される粒子(メソン)等があります。これらの強い相互作用を行う粒子を総称して「ハドロン」と呼びます。

 

宇宙の歴史は、今から約137億年前の「ビッグバン」から始まったと考えられています。ビッグバン直後の宇宙はとても高温で、素粒子のクォークやグルーオンなどがスープのように動き回っている状態だったと考えられています。その後、宇宙の温度が徐々に冷えるに伴って、ハドロンからなる陽子や中性子が形成され、原子核、原子、そして今私たちの身の回りにあるような物質が形作られました。原子核や素粒子の研究は、物質の階層構造を奥深くにたどっていく道のり、つまり宇宙の歴史をさかのぼっていく研究であるとも言えます。

MatterDevelopment2_J.jpg

ハドロン実験施設とは

概要

ハドロン実験施設は、物質を構成する究極の要素が何であるか、どのような力がそれらを結びつけているかといった、物質の根源が何であるかを極微のスケールで探究する施設です。その研究手段として、素粒子や原子核の状態を非常に精密に観測する方法や、未観測の現象を探したり、通常の自然界には存在しない非常に変った状態を作り、その性質を調べる方法などがあります。これらの研究をさらに推し進めるためには、大強度の粒子ビームが必要となります。大強度の一次陽子ビームから作り出される多彩な二次ビーム、あるいは一次陽子ビームそのものを使って原子核反応や素粒子崩壊などの様々な実験を行います。 二次ビームとしては、K中間子、π中間子、ハイペロン、ニュートリノ、ミュオン、そして反陽子のビームが利用できます。

ハドロン実験施設では、50GeVシンクロトロンより取り出された一次陽子ビームをハドロン実験ホールの二次粒子生成標的に照射し、生成したK中間子やπ中間子等の二次ビームを複数の実験エリアに輸送し、様々な実験を平行して行うことができます。ハドロン実験施設は平成16(2004)年度から建設を開始し、平成21(2009)年1月に完成し、1月27日に最初のビーム取り出しを行いました。 その後、加速器から陽子ビームを受け入れる調整作業を経て、平成22(2010)年1月から本格的に二次ビームの供給を開始しています。令和2年(2020)3月には、50GeVシンクロトロンからの一次陽子ビームの一部を取り出すビームラインが完成して、高エネルギーの一次陽子ビームを用いた実験が開始されました。令和4年度(2023年度)の完成を目指して、ミューオン・電子転換の探索実験のためのビームラインの建設が進められています。

これまでの成果発表等はこちらをご覧ください。

HadronResearchJp.jpg

取り組まれている主な研究

ハドロン実験施設では、大強度の一次陽子ビームによってK中間子、π中間子等の二次ビームの強度を飛躍的に高めることができます。現在ハドロン実験ホール内には3本の二次粒子ビームライン(K1.8、K1.8BR, KL)と1本の一次陽子ビームライン(高運動量ビームライン)が設置されており、以下のような様々な原子核・素粒子物理学の実験研究が行われています。また、ミューオン・電子転換事象を探索する実験(COMET実験)も企画されています。

施設の配置

 ハドロン実験施設は、J-PARC敷地内で最も南側に位置しています。リニアックで180MeVまで加速された陽子ビームは3GeVシンクロトロンでさらに3GeVまで加速され、物質・生命化学実験施設(MLF)と50GeVシンクロトロンに入射されます。3GeVの陽子ビームは50GeVシンクロトロンで最大50GeV(現在は30GeV)まで加速され、ハドロン実験施設とニュートリノ実験施設に取り出され、実験に利用されます。加速器から取り出された陽子ビームは、スイッチヤード(SY)と呼ばれる200mの区間を一次ビームラインで輸送され、ハドロン実験ホール内の二次粒子生成標的(T1)に照射されます。二次粒子生成標的では最大50%のビームが二次粒子の発生に消費され、放射線による発熱から二次ビームライン最上流部の電磁石を保護するため、大型真空箱が設置されています。二次粒子生成標的で生成したK中間子、π中間子、反陽子等の二次粒子は、二次ビームラインでそれぞれの実験エリアに輸送され、実験に利用されます。ハドロン実験ホールの最下流にはビームダンプが設置され、陽子ビームは安全に吸収されます。

 200mと比較的長い区間であるスイッチヤードには別の役割があります。一次ビームラインの途中で陽子ビームを2%程分岐してハドロン実験ホールに輸送し、高い運動量の陽子ビームを原子核・素粒子物理実験に使用するための高運動量ビームラインや、小さい二次粒子標的を設置してテスト実験のためのビームラインを将来建設できるようになっています。 また、ハドロン実験ホールは将来ビームに沿って下流に拡張できるように設計されています。拡張された実験ホールに二次粒子生成標的と二次ビームラインを建設すると、より多くの実験を同時に行うことができます。

BirdsEyeView

 

 

HEFplan2023J.png

より詳しく

スイッチヤード一次ビームライン

スイッチヤード一次ビームラインは、加速器から取り出された陽子ビームをハドロン実験ホールまで輸送するためのビームラインです。大強度陽子ビームでは途中のわずかのビーム損失でも機器に深刻なダメージを与えることから、放射線耐性の高い電磁石やビームモニタが使われています。

スイッチヤード一次ビームライン

 

スイッチヤード一次ビームライン用電磁石

 スイッチヤード一次ビームラインでは、200mの区間に約50台の電磁石を配置して陽子ビームを輸送します。これらの電磁石の多くは、アメリカのスタンフォード線形加速器センターで製作され、使われていたものを転用し、KEKつくばキャンパスで2005年まで行われていたK2K実験用ニュートリノビームラインの一部に使っていました。KEKつくばキャンパスの12GeV陽子加速器施設がシャットダウンした後、J-PARCでも再利用するために磁極や端末の改造を施して再使用しています。

スイッチヤード一次ビームライン用電磁石

 

ハドロン実験ホールとハドロン南実験棟

 ハドロン実験ホールは、幅60m、長さ56mの建物で、一次陽子ビームライン、二次粒子生成標的, ビームダンプ、二次ビームライン、実験装置等が設置される、ハドロン実験施設の中心となる建物です。高さは地上16m、地下6mの半地下構造です。現在、一次陽子ビームラインのAラインに設置された二次粒子生成標的からの二次粒子を輸送する二次ビームラインとしてK1.8BR、K1.8、KLの3本のビームラインが建設され、それぞれに実験エリアが設置されています。実験エリアでは、ユーザーがそれぞれの実験に合わせて製作した様々な標的や測定装置を設置し、実験を行います。ビームライン名称の「K」はK中間子を表し、1.8等の数字は輸送できる二次粒子の最高運動量(GeV/c)を表しています。KLビームラインの「L」は、寿命の異なる2種類の中性K中間子(K0L、K0S)のうち、寿命の長いK0L中間子を輸送していることを表します。また、加速器からの陽子ビームの極一部を切り出し輸送するBライン(高運動量ビームライン)では、一次陽子ビームを使用する実験が行われます。さらにCラインは、加速器からの8GeV陽子ビームをハドロン南実験棟に輸送し、ミューオン電子転換事象探索の実験(COMET実験)が行われます。

HEFBeamlinesJp.jpg

 

下の図はハドロン実験ホールの南側を撮影した写真です。実験ホールの中央には二次粒子生成標的と一次ビームラインを格納するためのコンクリートで作られたトーチカ状の構造物があり、二次ビームラインの実験エリアはその外側にあります。ハドロン実験ホールでは、電磁石、実験装置、遮へい体等の重量物を運ぶため、最大荷重40トンの天井クレーンが備えられています。

ハドロン実験ホールの南側

二次粒子生成標的(T1)

 

大型真空箱

二次粒子生成標的で発生したK中間子やπ中間子等の二次粒子は、二次ビームラインで実験エリアまで輸送されます。二次粒子生成標的周辺は、二次ビームライン最上流部でもあり、非常に複雑な構造となっています。下図は、T1標的と二次ビームライン最上流部の写真です。

大型真空箱



二次粒子生成標的に照射された陽子ビームのパワーの内、K中間子等の二次ビームに転換するのは僅かで、大部分のパワーはγ線や中性子となって下流に放出されます。従って、二次粒子生成標的のすぐ下流の二次ビームライン最上流部の電磁石は、二次粒子生成標的からの放射線によって加熱されます。また、通常のビームラインでは、電磁石と電磁石の間は真空ダクトで接続されますが、上記のような環境では真空ダクトを設置し、接続することが困難です。これらの困難を克服するために、大型の真空槽を設置し、その中に設置した電磁石を真空中で運転することによって真空ダクト自体を省くことができます。下図は大型真空箱の概略図です。二次粒子生成標的の周辺は残留放射線量が非常に高くなるため、電磁石の電気および冷却水の接続をビームラインから5m上方で安全に行えるようになっています。

大型真空箱の概略図

 

Aラインビームダンプ

ハドロン実験ホールのすぐ外側には、加速器から取り出された大強度の陽子ビームを最大750kWまで吸収できるビームダンプが設置されています。下図はビームダンプの構造図です。大強度の陽子ビームを受ける吸収体のコアとして、幅2m、高さ2m、奥行き5mの銅が使用されています。銅コアの中心部にはコーン上の穴が開けられており、陽子ビームを徐々に削りとることによって、熱負荷が均一になるように設計されています。写真は銅コアを構成する銅ブロックの1つで、ブロックの外側に水を流して冷却します。
 銅コアの周囲は放射線遮へい用の鉄及びコンクリートブロックで覆われており、ビームダンプの総重量は1万トン以上に及びます。また、銅コアを含む中心部分は、将来ハドロン実験ホールが下流に拡張された際に安全に移動できるように、あらかじめ移動用のレールが設置されています。

ビームダンプ