名古屋大学N研(高エネルギー素粒子物理学研究室)
前列左から、三森さん、中野さん、皆川さん、鷲見さん、前田さん、
名古屋大学N研4年生の鷲見さん、中野さん、皆川さん、前田さん、三森さんは、プラスのミュー粒子の陽電子と光への崩壊が起こるかどうかを探索しに来たという。この崩壊反応は、素粒子物理学の「標準理論」では、起こらないとされている反応だ。しかし、現在、多くの物理学者達が、この崩壊が起こるのではないかと考え、これを探索する先端の実験が進められている。先端の実験は、この崩壊が非常に低い確率で起こったとしても、それを捉えることができる測定条件を整えて、進められている。今回、学生達が行う測定条件では、この反応の起こる確率が10-4(1万回に1回)程度あれば観測できるはずだという。しかし、仮に標準理論を超える新物理があったとしても、この崩壊が起こる確率は、10-4よりもはるかに小さいそうだ。したがって、学生達は、今回、10-4程度の確率で反応が起これば捉えられる条件で反応が観測されないことにより、お目当ての崩壊の起こる確率が10-4よりも小さいことを示したいと考えているという。
どうしてこの実験をするのか
「探している崩壊が見つかれば、『標準理論』を超える『新しい物理』を見つけたことになります。多くの物理学者が考えているように、僕たちも、標準理論を超える物理があると思っていて、それを自分で実験を行い検証したい。」5人とも、学部3年次までに、先輩、先生を見て、加速器を使った実験により、標準理論を超える新物理を探索したいという思いを抱き、N研を選んだという。当該の崩壊反応の探索を卒業研究のテーマに選んだ鷲見さん、中野さん、皆川さんは、数ある新物理探索のための実験の中からこの実験を選んだ理由を、「ミュー粒子は陽電子と2つのニュートリノに崩壊する普通の崩壊反応と、見つけたい電子と光に崩壊する反応以外の崩壊は考えなくて良いので、見つけやすいと思いました。また、『カロリメータ』と呼ばれる、粒子のエネルギーを測定する検出器を用いて粒子の種類を調べる実験を、自分で検出器を組んでやってみたいと考えました。」と説明してくれた。前田さんと三森さんは、それぞれ、別の卒業研究テーマから標準理論を超える新物理を探索しているが、自分のテーマと異なる角度から標準理論を超える新物理を模索する実験に興味を持ち、今回、手伝いに来たという。
J-PARCで実験するまでの道のり
では、お目当ての崩壊反応が起こっているかどうかをどうやって調べるのだろうか? 学生達は、丁寧に説明してくれた。「崩壊してできる陽電子と光のエネルギーを検出器(カロリメータ)で測定します。プラスのミュー粒子は、普通は、陽電子と2つのニュートリノに崩壊します。反応の前後でエネルギーの合計は変化しないので、普通の崩壊では、ニュートリノが持ち去るエネルギーがばらつく結果、陽電子のエネルギーはばらつくことになります。一方で、お目当ての、ミュー粒子が陽電子と光に崩壊する反応なら、陽電子は、元のミュー粒子の質量(=エネルギー)の半分のエネルギーを持ちます。だから、エネルギーを測定すれば、普通の反応か、お目当ての反応かが区別できるのです。」
鷲見さんが陽電子の検出器、中野さんが光検出器の開発を行った。陽電子、光、それぞれ、まず、検出器の大きさを決めるためにシミュレーションを行ったが、「シミュレーションのソフトの使い方も一から勉強しなければならず、非常に大変でした。」と、鷲見さん。「ようやく大きさが決まり、製作に入ってからも、ガラスとプラスチックの接着作業では、接着剤が乾くのを待ってから次の接着を行わなければならないので、時間との勝負でした。」と、中野さん。それでも、J-PARCに来る前に完成させ、信号の確認まで余裕をもって終えてきたという。検出器の開発と並行して、J-PARCでの実験時の検出器の配置決めなども進めてきた。
皆川さんは、自分の得意分野を生かし、データの読み出し回路を担当している。どれくらいの量のデータを取得すれば、後の解析の結果、お目当ての崩壊の確率が10-4よりも小さいと言えるか、検討し、データ取得のための回路の調整を行ってきたそうだ。
J-PARCでの初めての実験を前に
取材した日は、J-PARC滞在5日目だった。J-PARCに到着して最初に、検出器が運搬により壊れていないかを確認し、問題なく使えて安心したという。では、何もトラブル無く事が進んできたかというと、そんなことはなかったそうだ。鷲見さんは、アンカーに固定するための金具の厚みを考慮するのを忘れていたため、金具が4 mm長すぎて入らないというハプニングがあった。予備で短い金具を用意していたので、事なきを得た。一方の中野さんは、検出器に入る粒子の種類を識別するために検出器の手前に取り付ける「ベトカウンター」の固定のしかたを検討することを忘れていたという。しかし、彼も、その場で臨機応変に固定したそうだ。二人とも、「焦ったか?」と尋ねると、「何かしら、気づいていなかったことが起こることは予想していました。」と、あっさりとした答えが返ってきたのには感心した。皆川さんは、取材時にも、回路の最終調整に大忙しであった。
架台を組み立てる鷲見さん(右)と、光の検出器を設置する中野さん(左)
回路の最終調整に精力を注ぐ皆川さん
取材した日の夜間に、初めてビームを使用したデータの取得を行う予定とのことであった。「検出器の動作確認がまだなので、うまくエネルギーがはかれるか、心配はある。成功を祈るばかり。うまくいってほしい。」と心境を語ってくれた。前田さん、三森さんも、「4月から、仲間として苦労を見てきているので、報われてほしい。」と願っていた。
実験本番を前に緊迫した状況のはずだが、学生達は非常に和やかに、自信を持って、自分達の実験について説明してくれた。このテーマを卒業研究にしている学生達が、当たり前すぎて説明を飛ばしてしまったところを、手伝いで来た学生が補って説明してくれる場面もあった。毎週のゼミや中間発表を通し、お互いの研究を理解し合い、人に理解してもらえるように説明するスキルも磨いている。「ここまでの経験は非常に勉強になっている。」と語ってくれた彼らは、この晩、初めてのビームを用いた実験を乗り越えた経験を糧に、4月からは先端の研究現場で活躍していくことになるだろう。