ナトリウムイオン電池の負極材料開発に光
- ハードカーボン中のナトリウムイオン拡散を観測 -
一般財団法人総合科学研究機構
東京理科大学
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
発表のポイント
✣ 従来手法では不明だったナトリウムイオンの拡散運動をミュオン素粒子で検出
✣ 新たなナトリウムイオン電池材料の実現へ前進
一般財団法人総合科学研究機構
東京理科大学
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
✣ 従来手法では不明だったナトリウムイオンの拡散運動をミュオン素粒子で検出
✣ 新たなナトリウムイオン電池材料の実現へ前進
総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センター 大石 一城 副主任研究員、杉山 純 サイエンスコーディネータ、東京理科大学理学部第一部応用化学科 五十嵐 大輔 大学院生、多々良 涼一 助教、駒場 慎一 教授、及び高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所 西村 昇一郎 特別助教、幸田 章宏 准教授の研究グループは、大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)(※1)に設置された汎用µSR実験装置(ARTEMIS)(※2)を用いて、ナトリウムイオン電池の負極材料として注目されているハードカーボン(※3)中のナトリウムイオンの動き易さの指標である「自己拡散係数」(※4)の導出に成功しました。ナトリウムイオンの拡散挙動を明らかとした本成果は、リチウムイオン電池の代替品として期待されているナトリウムイオン電池の負極材料開発に大きな指針を与えます。
この研究成果は、米国化学会が出版するACS Physical Chemistry Auに2021年11月15日にオンライン掲載されました。
より良い未来を目指して、高性能電池の実現と普及が急がれています。高性能電池の代表であるリチウムイオン電池については、リチウム資源量が少ないために、その高価格と供給量の制約が問題となります。そこで、リチウムに比べてほぼ無尽蔵な資源量を有するナトリウムをベースにする「ナトリウムイオン電池」の研究が進められています。しかし、ナトリウムイオン電池の負極には、リチウムイオン電池の負極である黒鉛が使えないので、その代わりにハードカーボン(図1)が使われます。ハードカーボンはグラフェン層が複雑に積層・凝集し、微細空孔を多く含む構造を持つため、ハードカーボン中でのナトリウムイオンの運動は不明でした。
ナトリウムイオンの運動速度(拡散係数)の最も遅い部分・材料が、ナトリウムイオン電池全体の充放電速度を決めるので、電池の各構成要素の拡散係数を求めることは、高性能電池開発の基本です。しかし広く普及している「電気化学を基礎とする従来測定手法」では、材料固有の拡散係数を決めることは不可能でした。
図1:黒鉛とハードカーボンの構造。黒鉛は炭素原子が規則的に並んだグラフェンが層状に重なっている。ハードカーボンは、グラフェンがランダムに重なり合っている。黒鉛中にはナトリウムイオンは出入りできないが、ハードカーボンへはナトリウムイオンが出入りする。
研究グループは、ハードカーボン中のナトリウムイオンの運動を調べるため、ミュオン素粒子に注目しました。ミュオンは小さな磁石なので、やはり小さな磁石であるナトリウム核が運動すると、それに伴う微妙な磁場変化を捉える可能性があります。そこで、磁石の向きの揃ったミュオンを大量に供給しているJ-PARCで、様々な温度でミュオンスピン回転緩和法(µSR)(※5)による実験を行いました。その結果、ハードカーボン中のナトリウムイオンの「自己拡散係数 DJNa」の導出に成功しました(図2)。解析の結果、自己拡散係数は27℃で DJNa = 2.5×10-11 cm/sと見積もられ、黒鉛中のリチウムイオンの自己拡散係数の1/3~1/6程度でした。一方、拡散の障壁となるエネルギー(熱活性化エネルギー)は黒鉛中のリチウムの場合の1/5~1/7なので、温度変化に強く低温まで利用できることも分かりました。
室温以上の高温では、グラフェン層間のみならず微細空孔中のナトリウムイオンの拡散も検出されました。微細空孔中のナトリウムイオンが、より低温から拡散開始できるような構造をいかに実現するかが、今後のハードカーボン系負極材料の性能向上の鍵となりそうです。
図2:ナトリウムイオンの自己拡散係数DJNaと絶対温度の逆数1/Tとの関係。単純な熱活性化過程を仮定して解析できる。
ナトリウムイオン電池の負極材料として期待されているハードカーボン中のナトリウムイオンの動きを明らかにすることに成功しました。ハードカーボン中のグラフェン層間のナトリウムイオンは、黒鉛中のリチウムイオンより動きにくい一方で、温度変化は小さいことが分かりました。また室温以上ではハードカーボン中の微細空孔中のナトリウムイオンの運動も観測されました。これらの結果は、リチウムイオン電池に代わるナトリウムイオン電池の負極材料開発に大きな指針を与えます。また、ハードカーボンと組み合わせる正極材料や電解質の拡散係数を求めることにより、ナトリウムイオン電池全体の充放電性能におけるボトルネックを決定し、より高性能な電池の実現につなげます。
本研究はJSPS科研費JP18H01863とJP20K21149の助成を受けたものです。また、本研究の一部は文部科学省元素戦略プロジェクト<研究拠点形成型> 京都大学 実験と理論計算科学のインタープレイによる触媒・電池の元素戦略拠点(JPMXP0112101003)の支援を受けて実施されました。
タイトル | Na diffusion in hard carbon studied with positive muon spin rotation and relaxation |
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雑誌名 | ACS Physical Chemistry Au |
著者 | 大石 一城1、五十嵐 大輔2、多々良 涼一2、西村 昇一郎3、幸田 章宏3、駒場 慎一2、杉山 純1 | 所属 | 1 総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センター、2 東京理科大学理学部第一部、3 高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所 |
DOI番号 | 10.1021/acsphyschemau.1c00036 |
< 研究内容に関すること >
< 報道に関すること >
※上記の[at]は@に置き換えてください。
※1 大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)
J-PARCは高エネルギー加速器研究機構(KEK)と日本原子力研究開発機構(JAEA)が共同で茨城県東海村に建設し、運用している一大複合研究施設の総称です。その内の一施設であるJ-PARC MLFでは、加速した大強度の陽子ビームを炭素標的及び水銀標的に衝突させることで発生する大強度パルスミュオン及び中性子を用いて、物質科学、生命科学、素粒子物理学等の最先端の学術及び産業利用研究が行われています。
※2 汎用µSR実験装置(ARTEMIS)
J-PARC MLFのS1エリアに設置された汎用µSR実験装置です。電池材料中の核磁場の分布幅は理科の実験で使用する一般的な棒磁石(約100 mT)の200分の1程度です。µSR(※5)は、このような微小な核磁場の揺らぎを捉えます。
※3 ハードカーボン
炭素材料の一つ。炭素原子が規則的に並んだ黒鉛に比べ、ハードカーボンは炭素の並びや結合の規則性が低く、ナトリウムイオンを吸蔵可能なため、大容量の負極材としてナトリウムイオン電池への適用が期待されています。
※4 自己拡散係数
同一の分子やイオンが熱運動によって互いに位置を移動する速さを表す量です。
※5 µSR(ミュオンスピン回転緩和法)
加速器からビームとして取り出されたミュオンは小さな磁石で磁石の向きがビーム方向にほぼそろっています。試料に注入されたミュオンは、まわりの磁場を感じ、スピンの向きが変化します。ミュオンは、崩壊する瞬間に向いていたスピンの方向に陽電子または電子を放出します。これを検出器で捉えることで、ミュオンスピンの変化を調べ、物質内部の微小な核磁場の揺らぎや磁気的状態を調べる方法をミュオンスピン回転緩和法と呼びます。