H-イオンの低温高速伝導を実現
京都大学アイセムス (物質-細胞統合システム拠点)
分子科学研究所
大阪大学
ファインセラミックスセンター
高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
科学技術振興機構
∗ 従来の戦略とは逆のアニオン秩序化で、室温から300℃までの低温域で最高のH-イオンの伝導を達成
∗ 室温付近でのH‒イオン伝導を利用した電気化学デバイスや新たな触媒や合成への展開が期待
京都大学アイセムス 陰山洋 連携主任研究者(兼 工学研究科教授)、同工学研究科 生方宏樹 博士後期課程2回生、Cédric Tassel 准教授、分子科学研究所(兼 総合研究大学院大学)竹入史隆 助教、小林玄器 准教授、大阪大学接合科学研究所 設樂一希 助教、ファインセラミックスセンター 桑原彰秀 主任研究員、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 齊藤高志 特別准教授、神山崇 名誉教授らの研究グループは、負の電荷をもつ水素であるヒドリド(H‒)イオンが、室温から300ºCまでの低温領域で優れた伝導を示す固体材料を発見しました。この優れたイオン伝導が、アニオン秩序による高温相(高伝導相)の低温安定化によってもたらされていることを見いだしました。
近年、複数のアニオン(陰イオン)からなる複合アニオン化合物が次世代材料として盛んに研究されています。H‒イオンを含む酸化物、酸水素化物は触媒などの機能材料として注目を集めていますが、なかでもH‒イオン伝導は高速拡散が期待されることから、激しい開発競争が行われています。しかしながら、従来の水素化物や酸水素化物では300ºC以上の高温域でしか高いイオン伝導が得られておらず、電気化学デバイスなどへの応用のためには、より低温での高速伝導が望まれていました。
本研究では、電気的な相互作用が強いハードな酸化物イオン(O2-)のかわりに、電気的な相互作用が弱いソフトなアニオンであるハロゲン(塩素、臭素、ヨウ素)を含む化合物Ba2H3X(X = Cl, Br, I)に着目したところ、200ºCで10‒3 S/cmを超える高いH‒イオン伝導を発見しました。関連物質との比較の結果、同物質は、アニオンが秩序化し、高い対称性の構造が低温でも維持されることで、優れたH‒イオン伝導経路を与えることがわかりました。
従来、リチウムイオンを含む各種イオン伝導体では、カチオン(陽イオン)の無秩序な元素置換により乱れを導入することで、イオン伝導に有利な高対称な構造を低温で維持させる戦略がとられてきました。本研究では、ソフトなアニオンを使ったことに加え、秩序を利用するという逆のアプローチによって低温高速H‒イオン伝導が実現されました。Ba2H3Xは室温でもH‒イオンが伝導することから、電気化学デバイスへのみならず、新たな触媒や合成への展開も期待されます。
本研究成果は、新学術領域研究「複合アニオン化合物の創製と新機能」、CREST「ヒドリド含有酸化物を活用した電気化学CO2還元」、文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業、JSPS Core-to-Core Program「エネルギー変換を目指した複合アニオン国際研究拠点」の一環として行われ、J-PARC MLF※1にある実験装置SPICAによる中性子回折実験は高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所中性子共同利用S1型実験課題(課題番号2019S10)で実施しました。
米国科学振興協会発行のオンライン科学誌「Science Advances」で米国東部時間6月2日午後2時(日本時間6月3日午前3時)に公開予定です。
1. 背景
イオン伝導体は、燃料電池や全固体電池、化学センサなど、様々な用途で使用されており、幅広い温度域で高い伝導度を示すことで、デバイス性能の向上に大きく寄与します。多くのイオン伝導体は、高温で安定な高対称な結晶構造において高いイオン伝導度を示します。しかしながら、ある温度以下では、対称性の低い(歪んだ)構造に変化し、イオン伝導度が著しく低下することがあります。従来、この問題を克服するために、元素置換による乱れの導入が広く行われています。例えば、代表的な酸化物イオン伝導体であるイットリア安定化ジルコニア(通称YSZ)では、ZrO2中のカチオン(陽イオン)であるZr4+の一部をY3+でランダムに置換(Zr1‒xYxO2‒x/2)することで、降温に伴う低対称性構造への転移が抑えられ、低温でも高い酸化物イオン伝導が維持されます。
一方、負電荷をもつ水素、H‒イオンを含む酸化物(酸水素化物)の研究が近年盛んに行われています。陰山教授らのグループはこれまでに、H‒イオンのサイズ柔軟性、高い反応性などに起因するユニークな機能を明らかにしてきました(2012年、2015年、2017年、京都大学よりプレスリリース)。また、H‒イオンはイオン伝導キャリアとしても魅力的ですが、分子研の小林らは酸水素化物において初めてH‒イオン伝導を報告しました(2016年、分子科学研究所よりプレスリリース)。これを契機にして、酸水素化物を軸にH‒イオン伝導材料の開発競争が進んでいますが、300ºC以上の高温でしか良好なH‒イオン伝導が得られていませんでした。
2. 研究内容と成果
一般のイオン伝導体において伝導を阻害する要因の一つに電気的相互作用があります。酸水素化物においては、酸化物イオン(O2-)がハードな(電荷密度が大きい)アニオンであるため、キャリア伝導の障壁が大きくなることが予想されます。そこで本研究では、酸化物イオン(O2-)のかわりに、ソフトな(電荷密度が小さい)ハロゲン(塩素、臭素、ヨウ素)を含むヒドリド化合物Ba2H3X(X = Cl, Br, I)に着目し、H‒イオン伝導度を電気化学インピーダンス法※2によって評価したところ、図1に示すように、従来と比較して室温から400℃までの幅広い温度域で高いH‒イオン伝導が観測されました(例:X = Iでは、200ºCで1.4 mS/cm)。
優れたH‒イオン伝導を示す原因をさらに探るため、構造に着目しました。図2bに示すようにBa2H3X(X = Cl, Br, I)ではH-とX-が層状に並んだ秩序高い六方晶構造をもっていますが、ここでX = HとしたBa2H4 (すなわちBaH2)では450℃以下で対称性の低い歪んだ構造(図2a)へと変化します。BaH2は高いH‒イオン伝導を持つことは報告されていましたが、450℃の構造変化にともなってH‒イオン伝導度が急激に低下することが知られています(図1)。このことは、Ba2H3Xにおけるアニオン秩序化によって、高い対称性をもつ構造が低温まで安定化されたことを示します。実際、図1におけるBaH2の高温領域の伝導曲線を低温側に外挿してみるとBa2H3Xの伝導曲線に一致します(活性化エネルギーが35-50 kJ/mol)。J-PARC(SPICA)で得られた中性子回折データを用いた精密構造をもとに第一原理計算を行った結果、H‒イオンの二次元的な伝導と実験で得られた活性化エネルギーを裏付ける結果が得られました。
一般的なイオン伝導体の物質開発では、元素置換による乱れの導入によって(高いイオン伝導をもつ)高温の高い対称性をもつ構造の安定化が行われてきました。背景で述べたように、イットリア安定化ジルコニア(YSZ)では、カチオンであるZr4+の一部をY3+で無秩序に置換して乱れを導入することで、低温でも対称性の高い立方晶構造が維持され、優れた酸化物イオン伝導を示します。これとは対照的に、本研究で見出された「アニオン秩序による高温相の安定化」というコンセプトは、従来とは逆の新しい設計戦略となります。このように複合アニオン化合物におけるアニオン秩序の利用は、H‒イオン伝導のみならず、様々なイオン伝導体の開発に適用できる可能性があります。
図1. Ba2H3XのH‒イオン伝導度の温度依存性。これまでに報告されたH‒イオン伝導体の伝導度と比較。
図2. a) これまでで最高のH‒イオン伝導度を示すBaH2高温相の結晶構造。ただし、450ºC以上でのみ安定に存在。b)本研究で着目した 層状アニオン秩序をもつBa2H3X (X = Cl, Br, I)。BaH2高温相に対してアニオンを秩序化させることで、室温から300ºCまでの低温域で高いH‒イオン伝導度を示す。
3. 今後の展開
300ºC以上に限られていたH‒イオン伝導の利用温度域は、本研究によって大幅に拡張されました。今後、H‒イオン伝導体の研究は、応用開発を視野に入れた新たな段階へ前進すると期待されるとともに、室温でのH‒イオン拡散は、触媒や有機反応にも新たな方向性を与える可能性があります。これまで、複合アニオン化合物の研究は酸素を含むものが中心でしたが、本研究の結果は、酸素を含まない複合アニオン化合物には新しいフロンティアがあることを示唆しています。実際、陰山グループによって今年の初旬に報告された逆ペロブスカイト型のアルカリ金属イオン伝導体もソフトなアニオンから構成されています(2021年、京都大学よりプレスリリース)。複合アニオン化合物の研究は、今後、対象を拡げ様々な分野に波及しながら発展していくことが期待されます。
4. 用語解説
※1 J-PARC MLF
J-PARC(⼤強度陽⼦加速器施設)は KEK と⽇本原⼦⼒研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している⼤型研究施設です。J-PARC 内の物質・⽣命科学実験施設 MLF では、中性⼦ビームを⽤いた世界最先端の物質・材料研究が⾏われています。中性⼦はX線と比べて一般に軽元素との相互作用が強いため、結晶中の水素の位置を調べるのに適しています。SPICAは蓄電池研究のために設計され、MLFに設置された高分解能・高強度の特殊環境中性子回折装置です。
※2 電気化学インピーダンス法
交流電圧を用いたイオン伝導度の一般的な測定手法です。印加交流電圧に対する周波数応答の違いを利用して、目的物質内部のイオン伝導や粒子界面のイオン伝導などの成分を分離して求めることができます。
5. 研究プロジェクトについて
本研究は、文部科学省科学研究費助成事業 新学術領域研究「複合アニオン化合物の創製と新機能」、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業CREST「ヒドリド含有酸化物を活用した電気化学CO2還元」、文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業、JSPS Core-to-Core Program「エネルギー変換を目指した複合アニオン国際研究拠点」、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所中性子共同利用S1型実験課題(課題番号2019S10)の一環として行われました。
6. 論文タイトル・著者
● | Anion Ordering Enables Fast H‒ Conduction at Low Temperatures (参考訳:アニオン秩序により実現した低温における高速H‒イオン伝導) |
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● | 著者:Hiroki Ubukata, Fumitaka Takeiri, Kazuki Shitara, Cédric Tassel, Takashi Saito, Takashi Kamiyama, Thibault Broux, Akihide Kuwabara, Genki Kobayashi, and Hiroshi Kageyama |
● | Science Advances|DOI: 10.1126/sciadv.abf7883 |
役割分担
陰山洋 連携主任研究者(京都大学アイセムス(兼 工学研究科 教授))
研究総括
生方宏樹 博士課程2回生(京都大学工学研究科)
合成、試料同定、電気化学測定
Cédric Tassel 准教授、Thibault Broux博士研究員(京都大学工学研究科)
試料同定
竹入史隆 助教、小林玄器 准教授(分子科学研究所(兼 総合研究大学院大学))
電気化学測定
設樂一希 助教(大阪大学接合科学研究所)、桑原彰秀 主任研究員(ファインセラミックスセンター)
第一原理計算
齊藤高志 特別准教授(高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所(兼J-PARC
兼 総合研究大学院大学))、神山崇 名誉教授(高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所(兼 J-PARC))
中性子回折測定
問い合わせ先
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