反物質が消えた謎にニュートリノで迫るT2K実験、飛躍的に測定精度を高める新しい段階へ
- 加速器増強による過去最多のニュートリノ生成と新型検出器の初稼働に成功 -
T2K 実験国際共同研究グループ
高エネルギー加速器研究機構
東京大学宇宙線研究所
J-PARCセンター
本研究成果のストーリー
- Question -
✣ T2K実験は、素粒子であるニュートリノとその反粒子である反ニュートリノの性質の違いを調べる実験を行っています。性質が明らかに異なると言うためには、「より多くのニュートリノを観測すること」、また「ニュートリノと物質(原子核)の反応の過程を深く理解すること」が課題でした。
- Findings -
✣ 大強度陽子加速器施設J-PARCでは、人工ニュートリノをつくるための陽子加速器を増強しました。またT2K実験国際共同研究グループは、この改修に併せてニュートリノ生成装置の増強を行いました。その結果、単位時間当たり過去最多のニュートリノを生成できるようになりました。さらに、新たに新型の前置検出器をJ-PARC内に設置したことによって、ニュートリノを観測する際の原子核との反応を従来より高精細に観測できるようになりました。
- Meaning -
✣ T2K実験は、これまでにニュートリノと反ニュートリノの性質の違いの大きさを表す量に世界で初めて強い制限を与えるなどの成果を出していますが、今回の改善で飛躍的に精度を高める新たな段階に入りました。ニュートリノと反ニュートリノの性質の違いを調べることは、宇宙から反物質が消えた謎の解明に繋がります。今後もニュートリノ研究で世界をリードすると期待されます。
図1: 増強したニュートリノ生成装置の主要部 (左) と今回導入した新型検出器 (右) のイメージ図 |
120文字サマリー
反物質が消えた謎に素粒子ニュートリノで迫るT2K実験は、増強された加速器による過去最高のニュートリノ生成と新型検出器の初稼働に成功しました。これらの改善で飛躍的に精度を高めて測定を行うことで、今後も世界をリードする成果が期待されます。
概要
T2K実験国際共同研究グループは、増強されたニュートリノビームと新型ニュートリノ検出器を用いた実験データ取得を2023年12月より開始しました。これにさきだち、KEK/J-PARCセンターはメインリング加速器およびニュートリノビームラインの出力を増強する改修を行い、より多くの陽子をニュートリノ生成施設に供給することができるようになりました。2023年11月から陽子ビームを用いた調整運転をはじめ、増強前と比較して約40%増の過去最高ビーム強度 (約710キロワット) での定常的なニュートリノビーム生成を達成しました。また12月25日にはメインリング加速器の当初の目標性能を超える760キロワットでの連続運転にも成功しました。T2K実験は、ニュートリノ生成装置の増強を行い、生成装置の心臓部であるパルス電磁石 (電磁ホーン)の印加電流を従来の25万アンペアから32万アンペアにしました。これにより陽子ビームと標的との反応で生成されたニュートリノの素となる荷電粒子の収束効率が向上し、ニュートリノビームの強度を10%程度増加することができました。また、ニュートリノ反応を従来よりさらに高精細に測定できる新型検出器群を設置しました。新しく設置した検出器は、その内部で起きたニュートリノ反応の反応点周りの飛跡を検出するSuperFGD、従来の検出器がカバーしていなかった大角度方向に放出された粒子の運動量測定などを行うHigh-Angle TPC、粒子の飛来方向同定や粒子識別などを行うTime-of-Flightからなります。これらの新しい装置により従来の検出器では捉らえることが出来なかった反応点周りの飛跡や大角度方向に放出された反応生成粒子を観測できるようになり、T2K実験は飛躍的に精度を高めた測定が可能になる新たな段階に移行しました。ビーム運転開始後の新型検出器の調整運転で、ニュートリノ事象候補の観測に成功しました。
T2K実験は2020年、世界で初めてニュートリノと反ニュートリノの振る舞いの違いの大きさを示す物理量 (CP位相角) に大きな制限を与えました。これらの増強で今後も世界をリードする実験によりその検証を進めることで、ニュートリノの性質の理解がさらに進み、宇宙から反物質が消えた謎の解明に繋がると期待されます。
研究グループ
T2K実験国際共同研究グループは、世界14の国・国際機関にある78の研究機関から、約570人の研究者が参加する国際共同研究グループです。日本からは、大阪公立大学・岡山大学・京都大学・慶應義塾大学・高エネルギー加速器研究機構・神戸大学・総合研究大学院大学・東京工業大学・東京都立大学・東京大学・東京大学宇宙線研究所・東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構・東京理科大学・東北大学・宮城教育大学・横浜国立大学の研究者と大学院生総勢130名が参加しています。
背景
T2K実験は茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設J-PARCで生成したニュートリノを、約300 km離れた岐阜県飛騨市神岡町にあるスーパーカミオカンデに打ち込んで、ニュートリノ振動※1を調べる実験です。T2K実験は2009年度から測定を開始し、2013年に電子ニュートリノ出現事象を世界で初めて直接検出しました。2014年からは反ニュートリノビームを用いた測定を開始し、CP対称性の破れ※2の検証を始めました。2020年にCP位相角※3の取りうる値に世界で初めて大幅な制限を与えました。さらに検証を進めてCP位相角の取り得る範囲から0度と±180度を排除すると、CP対称性の破れの証拠が得られます。しかしながら、測定精度を高めて検証を進めるには、より多くのニュートリノを生成すること、またニュートリノと原子核の反応を深く理解することが課題でした。
※1.ニュートリノ振動
ニュートリノが空間を伝わるうちに別の種類のニュートリノに周期的に変化する現象です。この現象の発見によってニュートリノが質量を持つことが示され、2015年に梶田隆章氏がノーベル物理学賞を受賞しました。
※2. CP対称性の破れ
CP対称性の「C」は粒子と反粒子を入れ替える (例えば、電子を逆の電荷を持つ陽電子と入れ替える) 「C変換」、「P」は鏡写しのように空間に対して上下左右前後の向きを入れ替える「P変換」を表します。この「C変換」と「P変換」をした場合に、同じ物理現象が同じ確率で起きることを「CP対称性」と呼びます。CP対称性に従わない場合、「CP対称性が破れている」と言います。CP対称性の破れは、現在の宇宙が物質で占められており、反物質がほとんど存在していないことを説明する条件の一つです。しかしながら、これまでに見つかっているクォークのCP対称性の破れはとても小さく、現在の宇宙の物質の量を説明することができていません。そのためニュートリノのCP対称性の破れが大きな手がかりになると期待されています。
※3. CP位相角画
CP位相角は、小林誠氏と益川敏英氏によってクォークにおけるCP対称性の破れを説明するために導入された素粒子にはたらく「弱い相互作用」の基本的な性質です。-180度から180度の値をとり得ますが、電子やニュートリノの仲間であるレプトンについては近年までその値は全く分かっていませんでした。CP位相角が0度と±180度以外の値をとると、ニュートリノ振動での変化確率にニュートリノと反ニュートリノで違いが生じます。T2K実験は2020年、CP 位相角のとり得る値の範囲の半分近くを99.7%(3シグマ)の信頼度で排除しました。
改善点
T2K実験国際共同研究グループは、増強されたニュートリノビームと新型ニュートリノ検出器をもちいた実験を開始しました。ニュートリノは、陽子ビームと黒鉛標的が衝突・反応して生成されたパイ中間子などの粒子が崩壊する際に生成されます。KEK/J-PARCセンターはメインリング加速器の主電磁石用電源など主幹機器を増強改修し、加速の繰り返し頻度を2.48秒から1.36秒に早めるなどして、より多くの陽子をニュートリノ実験施設に供給できるようになりました。T2K実験国際共同研究グループは、メインリング加速器から取り出された陽子ビームを用いてニュートリノビームを生成する、標的、電磁ホーン、ビームモニターなどの装置の増強・改造・交換を行い、大強度化した陽子ビームに対応しました。2023年11月からビーム調整運転を開始し、増強前と比較して約40%増の過去最高強度(約710キロワット)での安定運転を達成しました。12月25日にはメインリング加速器の当初の目標性能を超える760キロワットでの連続運転にも成功しました。さらに、ニュートリノ生成装置では、心臓部である電磁ホーン(図2)の電源を強化するなどして3台の電磁ホーンに印加する電流を、従来の25万アンペアから32万アンペアに増やすことで、標的で生成されたパイ中間子などのニュートリノの親粒子の収束効率を高めました。これによりスーパーカミオカンデ検出器に届けるニュートリノビームの質を高めるとともに、観測するニュートリノの数をさらに10%程度増やすことができます。
また、T2K実験国際共同研究グループは、ニュートリノ生成標的の280メートル下流にあるニュートリノモニター棟にて、新型検出器群(図3)を用いた観測を開始しました。2023年10月までに、3種類の検出器が新たに導入されました。新しい検出器群の中心に配置されるのは、有感領域に約2トンの質量を持つ新型検出器SuperFGDです。プラスチックシンチレータでできた1立方センチメートルの穴付きキューブ約200万個を積層した革新的な構造を持ちます。キューブを3方向から貫く約5万6千本の光ファイバーとその終端にある光検出器を通して、荷電粒子を3方向の視点から高精細に観測し、その飛跡を再構成することができます。ニュートリノビームの向きに対して大角度方向に位置するのはHigh-Angle TPCです。ニュートリノ反応によって大角度方向に放出された粒子の運度量測定などを精度良く行うことができます。最後に、それらの検出器を囲むように設置された検出器がTime-of-Flightです。粒子の飛来方向同定や粒子識別などを行います。2023年秋にこれらの検出器を設置して調整作業をすすめ、2023年12月からニュートリノビームの観測を開始し、新たに取得された実験データからニュートリノ反応事象の事象候補を捉えることに成功しました(図4,5)。
図2 : 大強度陽子ビームによるニュートリノ生成を可能にするため冷却能力を強化した第二電磁ホーン
図3 : 新型の前置検出器の写真
図4 : 新型の前置検出器で観測したニュートリノ事象候補 (ニュートリノがSuperFGDで反応して、その反応から放出された粒子の1つがHigh-Angle TPCに、もう1つが従来から設置されている検出器に入っている)
図5 : 新型の前置検出器の1つTime-of-Flightで観測したビーム時間構造
今後の見通し
これらの改善によりT2K実験は、増強されたニュートリノビームと革新的な前置検出器による新たなフェーズに移行しました。J-PARC加速器およびニュートリノ実験施設は、T2K実験へのビーム供給を行いながら、さらに1.3メガワット(= 1300キロワット)まで出力を増強させるアップグレード計画を進めています。収束効率が向上した電磁ホーンなど、ニュートリノ生成装置の性能向上と併せて従来と比較して約3倍のニュートリノ反応(単位時間あたり)を観測できるようになり、観測データの統計的ばらつきに由来する誤差(統計誤差)を小さくすることができます。また、新型検出器では従来の検出器では苦手としていたニュートリノの大角度散乱を捉えられるようになるなど、ニュートリノと物質(原子核)の反応をより深く理解できるようになり、系統誤差を小さくすることができます。前述の内容に加えて、スーパーカミオカンデ検出器も水中にガドリニウムを溶解させたことにより中性子検出効率が大幅に高くなり、検出器性能が向上しています。T2K実験はこれらの改善によって飛躍的に測定精度を高め、ニュートリノと反ニュートリノの振る舞いの違いの検証を進めます。
今回増強された大強度陽子加速器J-PARCおよびニュートリノ実験施設は、2020年より建設中のハイパーカミオカンデによる次世代のニュートリノ研究でも基幹となる役割を果たすことが期待されています。2027年度からは、増強されたJ-PARCニュートリノビームとハイパーカミオカンデを組み合わせることで、従来の20倍以上のニュートリノ振動現象を観測することが可能になります。新たに始まったT2K実験の新しいフェーズは次世代の実験につながる重要な一歩であり、宇宙から反物質が消えた謎の解明にせまるニュートリノ研究で今後も世界をリードすることが期待されます。