プレスリリース

2024.05.20

酸化ルテニウムは本当に第三の磁性体か?
- 素粒子ミュオンと第一原理計算で挑む「悪魔の証明」 -

大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
国立大学法人 茨城大学
国立大学法人 東北大学
J-PARCセンター
国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学

本研究成果のストーリー

 - Question - ✣ 鉄やニッケルなど磁石に引き寄せられる金属は「強磁性体」と呼ばれます。この性質は金属原子が持つ電子のスピンが同じ向きにそろうことで現れますが、最近、スピンのそろう向きが互い違いに反対である「反強磁性体」なのに、ある種の電磁気特性が強磁性体と同じになる特別なものがあると予想されています。この予想通りなら、従来の理論では説明できない「第三の磁性体」が存在し、周辺の磁場の影響を受けず安定に動作する好都合な性質を持つ次世代の磁気デバイスの開発につながります。酸化ルテニウム (RuO 2) が候補物質の一つになっていますが、先行研究ではこの性質の証拠が不十分で、別の実験手法による再確認が望まれていました。
 - Findings - ✣ 不純物や格子欠陥が極めて少ない高純度な酸化ルテニウム試料を用い、磁気特性に敏感な素粒子ミュオンを使って改めて調べました。その結果、先行研究で報告された好都合な性質が存在する可能性が限りなく低いことを、第一原理計算との組み合わせによって明らかにしました。
 - Meaning - ✣ 酸化ルテニウムはすでに磁気デバイスへの応用を目指した研究が進んでいます。しかし今回、その性質の存在性質に否定的な結果が得られたことから、応用研究だけでなく、電子状態の基本的な理解について再検討の必要があります。

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図1 磁気的性質で分類した金属。今回の研究は右下にある「特別な反強磁性体?」に着目した

120文字サマリー

  周辺の磁場の影響を受けず安定に動作する磁気デバイスの開発につながる候補物質として、酸化ルテニウムの応用研究が進んでいます。その磁気特性を素粒子「ミュオン」で調べた結果、その性質の存在を否定する結果を得ました。急速に進む応用研究について再検討が必要です。

概要

  普通の金属は磁石に引き寄せられず、「常磁性体」と呼ばれます。常磁性体の内部では、金属の原子が持つ電子のスピンと呼ばれる性質がてんでばらばらの方向を向いています。一方、鉄やニッケルなどは磁石に引き寄せられ、「強磁性体」と呼ばれます。強磁性体の性質はスピンが同じ向きにそろうことで現れ、モーターやハードディスクなどさまざまな応用があります。さらに、電子のスピンがそろうものの、そろう向きが互い違いに反対のものがあり、「反強磁性体」と呼ばれています。反強磁性体は磁石に引き寄せられないので、外から見ると常磁性体と区別がつきません。

  金属はこれまで、この枠組みで分類されてきましたが、最近、反強磁性体の中に奇妙な性質を示すものがあると予想されています。反強磁性体なのでスピンのそろう向きは互い違いに反対なのに、強磁性体の特徴も持つという変わり種です。この変わり種が持つ性質を「交代磁性」と呼んでいます。交代磁性体は「第三の磁性体金属」と呼ばれることもあります。

  交代磁性には、有用な性質が期待されます。強磁性体の特徴を持つので、ハードディスクのような磁気デバイスに応用できる一方で、周辺に磁場があってもその影響を受けません。ハードディスクや磁気カードに磁石を置くと磁気記録が消える可能性がありますが、そういうことは起きず、安定に動作できるのです。

  酸化ルテニウムはそうした交代磁性を持つ金属の候補です。これまでは金属が持つ電子のスピンがばらばらでそろうことがなく、磁性を示さない通常の金属とされていました。しかし2017年に非常に微弱ながらもスピンが互い違いに逆向きにそろう反強磁性磁気秩序を示す可能性が報告されたことをきっかけに、交代磁性体の有力候補として盛んに研究されるようになりました。最近では交代磁性体で予想される物性や、その前提となる反強磁性的な磁気秩序の存在を支持する報告が相次いでいる中で、我々は磁気敏感な素粒子ミュオンを用いてその磁気特性を調べ直しました。

  その結果、反強磁性秩序が存在する可能性が極めて低いこと、すなわち酸化ルテニウムは従来知られている通りの常磁性金属であることを明らかにしました。これは今後の応用だけでなく、基本的な電子状態に関する理解を再検討する必要があることを意味しています。本研究は米国科学誌「Physical Review Letters」の注目論文 (Editors' Suggestion) に選ばれました。 なお、ミュオン実験 (µSR ※1)は大強度陽子加速器施設 (J-PARC ※2) 物質・生命科学実験施設 (MLF) のミュオン科学実験施設 (MUSE) S1実験装置(ARTEMIS)にて、超純良試料 (※3) を用いて行われました。

※1.μSR法
  ミュオンはスピンという性質を持っており、スピンが磁場を感じるとスピンの向きが回転します。正の電荷を持つミュオンは約2.2マイクロ秒の寿命で崩壊し、陽電子を放出します。スピンの方向に陽電子が多く放出されるため、前後左右に飛んでいく陽電子数の違い (非対称度: ミュオンスピンの偏極度に比例) を測定することでスピンの運動が分かり、ミュオン近傍の局所的な磁場構造を調べることができます。このような実験手法をミュオンスピン回転・緩和・共鳴(µSR)と呼びます。今回の実験では酸化ルテニウム内でのミュオンの正確な位置を知ることが重要であるため、同物質中で水素の同位体として振る舞うミュオンの第一原理計算 (※4) によるシミュレーションも行われました。

※2.大強度陽子加速器施設 (J-PARC)
  高エネルギー加速器研究機構 (KEK) と日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われています。J-PARC内の物質・生命科学実験施設 (MLF) では、世界最高強度のミュオン及び中性子ビームを用いた研究が行われており、世界中から研究者が集まっています。

※3.超純良試料
  金属試料の純度や格子欠陥の少なさを表す純良度の指標の1つに、電気抵抗の測定から求められる残留抵抗比 (RRR: 室温の抵抗率を極低温の抵抗率で割ったもの) があります。これが大きい(=極低温の抵抗率が相対的に小さい)ほど純良性が高いことを意味する指標で、酸化ルテニウムでの過去の報告では200程度となっていました。今回の測定で用いた試料の残留抵抗比は図2に示すように、1500を超える値となっていて、純良性の極めて高い試料であることが分かります。また、試料に含まれるルテニウム原子の比率は理想値1に対して1.02(理想値とのずれは2%以内) と求められ、ルテニウム欠損のない試料であることも分かりました。

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図2 本研究で用いたRuO2試料の電気抵抗率の温度依存性

※4.第一原理計算
  第一原理計算とは「もっとも基本的な原理に基づく計算」という意味で、物質中の電子同士、原子核同士、および電子-原子核間のクーロン相互作用から出発し、近似モデルによらず量子力学の基本法則のみに立脚した電子状態理論を使って電子分布を決め、物質の諸性質を計算することを指します。

研究グループ

茨城大学 学術研究院基礎自然科学野: 平石雅俊 研究員
東北大学 金属材料研究所 量子ビーム金属物理学研究部門: 岡部博孝 特任助教
KEK 物質構造科学研究系: 幸田章宏 教授, 門野良典 特別教授
東京大学 物性研究所 量子物質研究グループ: 室井利彦 (大学院生), 廣井善二 教授
名古屋大学 大学院工学研究科 応用物理学専攻: 平井大悟郎 准教授

研究者からひとこと

  茨城大学 (元KEK) の平石雅俊 研究員
  μSR法の最も基本的な応用例である磁性を調べる研究ですが、結果として磁気秩序が存在しないことを明らかにする、という通常とは逆の応用例になりました。超純良試料で実験を行うことができたのが一つのキーポイントです。試料の合成や分析を行ってくれた共同研究者の皆様に感謝いたします。

なぜこの研究を始めたのですか

  酸化ルテニウムは磁性を示さない通常の金属であるというのがこれまでの常識でしたが、2017年に反強磁性磁気秩序の存在が報告されて以降、反強磁性を示す物質として盛んに研究が行われるようになりました。実は酸化ルテニウムは、「異常ホール効果」と呼ばれる強磁性体特有の性質も示すことも分かっており、磁石に引き寄せられない常磁性体でありながら、強磁性の性質と反強磁性の性質の両方も持つ「交代磁性体」と呼ばれる変わった金属磁性体である可能性が指摘されています。しかし、先行研究で報告されていた交代磁性の前提である反強磁性に由来する信号が非常に弱かったため、磁気秩序が本当に存在するのかどうかを別の実験手法で確認する必要がありました。

ひらめいたところはどこですか

  物質の磁気特性を調べるにはさまざまな手法がありますが、先行研究で使われていない手法、かつ磁気敏感な実験手法の一つであるμSR法を用いることにしました。高温超伝導体として有名な銅酸化物の母物質が反強磁性体であることを初めて示したのもμSR法で、その有効性はよく知られています。先行研究で報告されている磁気秩序由来の信号は非常に小さなものでしたが、本当に存在しているのであれば、μSR法で簡単に検出できるはずだと考えました。

何がわかったのですか

  試料の中のスピンがばらばらではなく、強磁性体のように同じ向きまたは反強磁性体のように互い違いに逆向きにスピンがそろう秩序が少しでもあれば、試料内部に磁場が発生します。入射したミュオンがその内部磁場を感じている場合、μSR時間スペクトルは図3の左に示したような回転信号となります。右は実験で得られたμSRの時間スペクトルで、ミュオンスピンの偏極率は時間と共に単調に減衰しているだけです。これは、ミュオンが有限の内部磁場を感じていないことを示しています。

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図3 加速空洞出口で測定した粒子の時間分布と冷却・加速されたミュオンの信号。あらかじめ加速後に想定されるエネルギー(90 keV)と運動量を持つ粒子だけを選択し、測定している。

  交代磁性体や反強磁性体では正味の磁化はゼロですが、ミュオンのようにミクロな視点から見ると、磁場の大きさは物質内部で異なり有限の値をとります。しかしながら、場所によっては磁場が打ち消しあってゼロとなっている場所もあります。ミュオンが偶然にもそのような場所に安定して静止してしまう場合は、そもそも磁気秩序による有限の磁場を検出することができません。そこで、ミュオンが酸化ルテニウム中でどこに静止するのかを調べる必要がありますが、これは第一原理計算で調べることができます。

  図4に示すように、計算の結果、ミュオンは酸素とおよそ0.1 nmの距離で結合した状態であることが明らかになり、報告されている磁気構造が存在する場合、この位置で磁場が打ち消し合うことはないことがシミュレーションから分かりました。そのシミュレーション結果が図3の左図で、報告されている磁気秩序を検出可能であることを意味しています。

  その他、さまざまな可能性を検討・シミュレーションした結果、報告されている磁気構造のもとでミュオンがその磁気秩序を検出し損なうことはないということが分かりました。これはつまり、図3右図の説明として、ミュオンが有限の内部磁場を感じていないのは、磁気秩序が存在しないからである、ということになります。また、仮に磁気秩序が存在すると仮定した場合でも、ルテニウムに生じる電子スピンの大きさの上限値が報告値の1%以下であることも解析から明らかになりました。

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図4 第一原理計算で得られた酸化ルテニウム中でのミュオンの最安定構造。黄色で示した酸素とおよそ0.1 nmの結合を作って安定化することが分かりました。ミュオンがこの場所に止まっていて、報告されている磁気秩序が存在する場合のμSR信号のシミュレーションが図3の左図です

努力したところはどこですか

  図3の右に示したように、実験の結果、ミュオンが内部磁場を感じていないとこはすぐに分かりましたが、これだけでは「磁気秩序が存在しないことが明らかになった」、と言えるわけではないことにも気づきました。つまり、何らかの理由で磁気秩序を検出し損なっているのではないか、という不安が頭によぎりました。

  と同時に、この研究はいわゆる悪魔の証明と同じで、ツチノコのような未確認生物が地球上のどこにも存在しないことを証明する、といったような困難に直面するのでは、という危惧も抱きました。しかしながら、μSRや先行研究で用いられた手法の実験原理をふまえ、磁気秩序を検出し損なう可能性をリストアップして一つずつチェックしました。研究が進むにつれて追加されたリストもありましたが、先行研究で報告された磁気秩序を検出し損なう可能性がないこと、つまり、過去報告された非常に弱い磁気秩序は存在しない、ということに確信を持てるまで考察を深めました。

それで世界はどう変わりますか

  酸化ルテニウムは交代磁性体であることを前提に、すでに次世代の磁気デバイスへの応用研究が盛んに行われています。その前提となる反強磁性体としての磁気秩序の存在に対して否定的な結果が得られたということは、応用研究だけでなく、電子状態の基本的な理解の再検討を促すきっかけになることが期待されます。

  また、別グループによる最新の理論研究では、酸化ルテニウムは本質的に常磁性金属で、ルテニウムの格子欠陥が磁気秩序を誘起する可能性が報告されています。つまり、交代磁性の存在を支持するこれまでの実験結果が、ルテニウムの格子欠陥や不純物などに起因していること、すなわち酸化ルテニウム の本質ではなかった可能性を示唆しています。しかしながら、酸化ルテニウム における磁性を不純物や欠損などで制御できることも示唆するもので、今後のデバイス開発に対して新たな指針となりえるものです。ルテニウム格子欠陥のない超純良試料を用いて行われた本研究は、上記理論研究を支持する実験的事実としても非常に重要な知見となります。

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謝辞

  本研究は文部科学省「元素戦略プロジェクト/研究拠点形成型 東工大元素戦略拠点」 (助成番号: JPMXP0112101110) および「データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト」(JPMXP1122683430)、JSPS科研費 (22K05275) の助成を受けたものです。μSR実験はJ-PARC MLFの実験課題 (課題番号2019MS02) として行われました。

論文情報

 〇  Nonmagnetic Ground State in RuO2 Revealed by Muon Spin Rotation
M. Hiraishi, H. Okabe, A. Koda, R. Kadono, T. Muroi, D. Hirai, and Z. Hiroi
Physical Review Letter 132, 166702 (2024).
 〇  DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.132.166702

お問い合わせ先

< 研究内容に関すること >
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
物質構造科学研究所 ミュオン科学研究系 特別教授 門野良典
 
< 報道担当 >
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構 広報室
TEL:029 -879 -6047
E-mail:press[at]kek.jp
 
J-PARCセンター広報セクション
TEL:029 -287 -9600
E-mail:pr-section[at]ml.j-parc.jp
 
※上記の[at]は@に置き換えてください。