プレスリリース

2026.08.18

プロトンが超高速に伝導する特異な界面を自己組織化で実現
- 次世代燃料電池への応用に期待 -

国立大学法人東京農工大学
一般財団法人総合科学研究機構
J-PARCセンター

  国立大学法人東京農工大学大学院工学研究院生命工学部門の一川尚広教授と同大学大学院工学府博士前期課程の仲澤美奈、一般財団法人総合科学研究機構(CROSS)の山田武博士、Sheffield大学のXiangbing Zeng博士らのグループは、円盤状分子の自己組織化を利用して、スルホ基(酸性官能基)が高密度かつ規則的に配列された特異な界面の構築に成功しました。この界面上では、プロトン(水素イオン)がスルホ基から隣接するスルホ基へホッピングしながら移動する界面プロトンホッピング伝導機構が高度に活性化し、極めて高速なプロトン伝導(3.5 × 10⁻1 S cm⁻1)が実現されることを明らかにしました。本研究の成果は、プロトン伝導性高分子膜の設計を抜本的に変革させる新しい設計戦略として期待でき、燃料電池などのエネルギーデバイスやバイオセンサーなどの革新に繋がりうると期待されます。また、プロトン伝導が関与する多様な生物学的現象の理解を深める上でも有用な知見と考えられます。

  本研究成果は、Journal American Chemical Society (2026) 148 (30): 31716-31726. に掲載されました(8月5日付)。

論文タイトル Extreme Activation of Surface Proton Hopping Conduction Mechanism via Self-Assembly of Liquid-Crystalline Discotic Molecules
DOI https://doi.org/10.1021/jacs.5c22190

背景

  プロトン(水素イオン)は、他のイオンに比べて水中を非常に速く移動することは古くから知られています。これは、水分子が形成する水素結合ネットワーク内でO-H結合の開裂と形成を介してプロトンが連続的に移動するためです。この現象は、1800年代の初頭に科学者Theodor von Grotthussが提唱した"グロータス機構"として200年以上にわたりプロトンの高速移動を説明する定説として広く受け入れられています。
  燃料電池をはじめとする様々なデバイスに組み込まれているプロトン伝導性高分子膜には、代表例として、ナフィオン(注1)などのスルホ基を有するフッ素系高分子が広く使われています。ナフィオンのような高分子膜では、水を取り込むことで膜内に"水のナノチャネル"が形成され、このチャネル内をプロトンが移動します。この水ナノチャネル内では、先に述べたグロータス機構に加え、ビークル機構と界面プロトンホッピング伝導(SPHC)機構(注2)の3つの伝導機構が協同的に機能することが分かっています。しかし、一般に、グロータス機構は他の伝導機構よりも100倍から10,000倍近く速い機構であるため、従来の高分子膜設計では、グロータス機構の寄与を如何に大きくするかが重要だと考えられていました。一方、SPHC機構は極めて遅い機構であると見なされ、この機構に着目した研究例はほとんど存在しませんでした。こうした中、本研究グループは、界面上のスルホ基間距離を縮めることで、プロトンが移動する際の障壁エネルギーを大幅に低減し、高速なSPHC機構を実現できるのではないかと考え、様々な分子設計・材料設計に挑戦してきました(図1)。

研究体制

  本研究は、東京農工大学の一川尚広教授(大学院工学研究院)のグループとCROSSの山田武博士、Sheffield大学のXiangbing Zeng博士のグループとの共同研究により実施されました。本研究は科学技術振興機構(JST)創発的支援事業(JPMJFR223C)及び日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(JP24K01547)の助成を受け実施されました。

研究成果

  本研究グループは、SPHC機構に立脚した材料設計のポテンシャル(潜在的な可能性)を明らかにするためには、スルホ基間距離を極限まで(約5 Å程度)小さくした材料設計に挑戦することが重要であると考えました。本研究では、スルホ基間距離を約5 Å程度まで小さくした界面構造の実現を目指し、低分子液晶の自己組織化(注3)に着目しました。液晶分子として図2に示したような円盤型分子を設計・合成しました。この分子は、適切量の水の存在下で自己組織化し、ヘキサゴナルカラムナー液晶構造を形成しました(図2右)。このカラムナー液晶に対して、シンクロトロン放射光を用いたX線散乱測定を含む様々な構造解析を進めたところ、水分子は円盤型分子が積層したカラム構造の界面に沿って配列し、極めて薄い水のナノシートを形成していることが分かりました。また、カラムの界面上のスルホ基間距離は、約5 Åであり、極めて密に配列していることが分かりました。この材料のプロトン伝導度を測定したところ、室温で3.5 × 10-1 S cm-1という極めて高いプロトン伝導度が観測されました。この値は、ナフィオンをはじめとする従来のプロトン伝導性高分子膜と比較して、3倍程度も高い値です。さらに、プロトンが伝導する際の障壁エネルギーを見積もったところ、6.0 kJ/molであり、"背景"に記載した一般的なグロータス機構で観測される値(10〜15 kJ/mol)よりも小さいことも分かりました。
  本研究グループは、この高いプロトン伝導度をもたらす伝導機構の解明に取り組みました。カラムナー液晶内のプロトン伝導は、界面上のスルホ基周りの結合水の回転・並進運動がスルホ基から隣のスルホ基へのプロトンのジャンプを推進している(SPHC機構)と考えました。この円盤型分子が自己組織化したヘキサゴナルカラムナー液晶構造内では、極めて小さなスルホ基間距離が実現されていることで、このSPHC機構が高度に活性化され、従来のプロトン伝導性高分子膜のプロトン伝導度を大きく超えた伝導度が実現されていると仮説を立てました。この仮説を実証するために、SPHC機構におけるプロトン伝導度を見積もる物理化学的な計算式を立てて、プロトンが一回のジャンプに要する時間を見積もったところ、約1 ピコ秒(1ピコ秒は10億分の1ミリ秒)で連続的なジャンプをしていることが分かりました。このピコ秒スケールの描像を実験科学的に証明するために、大強度陽子加速器施設(J-PARC)の物質・生命科学実験施設(MLF)に設置されているダイナミクス解析装置(BL02 , DNA)を用いて中性子準弾性散乱測定を行いました。この測定は、対象材料に中性子線を照射し、中性子線のエネルギーの変化から材料内の構成物質のダイナミクス(注4)を可視化できます。水素原子は中性子線に対して大きな散乱断面積を有しているため、水分子のダイナミクスを観察するのに非常に適している測定です。特に、通常の水素原子(軽水素:H)と重水素(D)で中性子線に対する散乱断面積が大きく違うため、軽水素からなる水(H2O)と重水素からなる水(D2O)のそれぞれを用いてサンプルを調製し、中性子凖弾性散乱測定を行うことで材料中の水分子のみのダイナミクスを抽出することができます(図3)。実際に、この戦略を活用し、カラム構造の界面上の水分子(結合水)のダイナミクスを定量的に評価したところ、結合水の回転または並進運動の時定数は約1 ピコ秒であることが分かりました。この値は、本研究グループが物理化学的な計算式で見積もった1回のプロトンジャンプに要する時間と一致したことから、カラムナー液晶内のプロトン伝導はSPHC機構によるもの(グロータス機構やビークル機構の寄与がほとんどない)と結論付けることができました。

今後の展開

  グロータス機構は、200年以上にわたりプロトンの高速移動を説明する定説であり、今なお重要な機構です。しかし、分子の自己組織化を利用した材料設計を進めることで、グロータス機構を上回るプロトン伝導機構を創造できる可能性を見出すことができました。今後は、分子設計改良を通して、本材料の高分子膜化に挑戦し、ナフィオンの代替素材の提案を目指します。本材料設計は、材料設計に必ずしもフッ素を必要としないため、PFAS問題の解決策の一つとなり得ます。さらに、本材料中の水は、0 ℃以下でも凍らない性質を有しているため、幅広い温度域で安定して作動するプロトン伝導性高分子膜の設計指針としても期待できます。

用語解説

注1) ナフィオン
  ナフィオン:フッ素を含んだ骨格とスルホ基から構成された高分子。高いプロトン伝導性と化学的・物理的安定性を有していることから広く利用されている。

注2)界面プロトンホッピング伝導機構
  疎水性壁表面の結合水領域を、プロトンがスルホ基間を数個の水分子を介して移動する伝導メカニズム。

注3)自己組織化
  分子が自発的に集合し、 秩序的な構造を形成すること。

注4)ダイナミクス
  水分子の並進や回転などの運動、動的な挙動のこと。

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図1:(a) 通常の界面プロトンホッピング伝導機構と(b) 本研究で実現した活性化した界面プロトンホッピング伝導機構のイメージ(図はJournal of the American Chemical Society, 2026, DOI: 10.1021/jacs.5c22190を基に作成)

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図2:本研究で設計・合成した分子とその自己組織化構造(ヘキサゴナルカラムナー液晶構造)

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図3:(a, b) 軽水サンプルおよび重水サンプルから得られた中性子準弾性散乱測定結果。(c) aとbの差から水分子のみのダイナミクスを反映した結果。ΔE = 0に観測される赤い帯の上下に観測される散乱強度の緩やかな現象が水分子のダイナミクスを表している。(図はJournal of the American Chemical Society, 2026, DOI: 10.1021/jacs.5c22190を基に作成)

< 研究に関する問い合わせ >
東京農工大学大学院 工学研究院
生命機能科学部門 教授
一川 尚広(いちかわ たかひろ)
 
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東京農工大学 総務課広報室
 
総合科学研究機構 中性子科学センター 利用推進部 広報担当
 
J-PARCセンター 広報セクション
E-mail:pr-section[at]ml.j-parc.jp
TEL:029 -287 -9600
 
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