京都大学の市川温子氏が猿橋賞を受賞
電磁ホーンの前で(右が市川氏。2009年の設置時に撮影)
J-PARCでニュートリノを用いた実験に携わる、京都大学の市川温子准教授が、猿橋賞を受賞しました。猿橋賞は、自然科学の分野で顕著な研究業績を収めた女性科学者に贈られる賞です。市川氏は、J-PARCの加速器を用いてつくった大強度のニュートリノビームを岐阜県神岡町にある検出器「スーパーカミオカンデ」に向けて飛ばし、観測する実験" T2K"(Tokai to Kamioka)で、ニュートリノの性質を解明した成果に大きく貢献したことが評価されました。
T2K実験では、ニュートリノにおいて粒子と反粒子の性質の違い(CP対称性の破れ)に迫る重要な成果があがっています。宇宙誕生時に粒子と反粒子は同じ数だけ生成されたはずであるにもかかわらず、現在の宇宙では、粒子で構成された物質だけが生き残っており、反粒子で構成された「反物質」はほとんど見当たりません。この謎に迫るためにも、CP対称性の破れの研究は重要です。
成果のカギを握ったのは、大強度ニュートリノビームの実現です。大強度とは、ビーム中の粒子の数が多いという意味で、粒子の数が多ければたくさんのデータが取れますので、素粒子の性質を探る実験において大強度は重要なポイントになります。市川氏は、ニュートリノ実験施設の設計開発にKEK職員として携わり、大強度ビームの生成に必要な多数の装置の大半について基本設計に関与しました。運転開始直前に京都大学に移ってからも、データの解析等において成果に大きく貢献しました。
受賞に際し、市川先生にお話をお伺いしました。
■なぜT2K実験にかかわったのでしょうか?
博士号を取った後、どういう方向に進もうかと、いろんな方にお話を聞いた中で、T2K実験の前身であるK2K実験(KEK to Kamioka)を始めた西川公一郎先生に、「ニュートリノは、もうあまりやることないのでは? ニュートリノ振動がすでに見つかったので。」と尋ねてみたら、「次はね、CP対称性の破れなんだよ。」と言われて、「かっこいいな。いいな。」と思いました。ニュートリノで、誰も見たことがないCP対称性の破れが見つかったらおもしろいなあ、と惹かれ、かかわることになりました。
■大強度ニュートリノビーム実現のカギは何だったとお考えでしょうか?
電磁ホーンとターゲットの開発が、一番の貢献だったと考えています。どちらもこれだけの大強度ビームに対応できるものは国内にはなく、米フェルミラボの技術者と共同で研究、設計しました。言い尽くせないほどの困難がありましたが、できたときは楽しかったですね。
ニュートリノを神岡の方向に向けるために親粒子であるπ中間子の進行方向を神岡に向ける電磁ホーンは、大強度ビームに耐えるためにターゲットから離したところに置く必要があります。そうすると磁場が弱くなるので、強磁場を発生させてπ中間子の向きを曲げるためには、装置が大きくなって施設内に入らなくなってしまう。解決のための工夫は、なかなか大変でした。大強度陽子ビームを当てて大強度のニュートリノビームを生成するためのターゲットは、大強度に対応するためには熱衝撃への対策や冷却方法の検討などが必要でした。
■解析において、成果に一番貢献したことは何だったとお考えですか?
今年4月にCP対称性の破れの大きさを決める量である「CP位相角」の取り得る範囲を大きく絞り込む成果を発表しました。この測定にいち早く着手することを提唱したことは、大きかったと思っています。2012年に中国のDaya Bayという原子炉からのニュートリノを使う実験が、当時T2Kが測定しようとしていた混合角θ13を先に測定してしまうということがありました。そこで、そのθ13の値を使って反ニュートリノのデータが無くてもCP位相角の値を求められる見通しを簡単な手計算で示し、「できるから、早くやろう」と提唱して、T2K実験の新しい目標が定まりました。現在は、反ニュートリノのデータが取れるようになったことで、より高精度でCP位相角を決める取り組みが進んでいます。
■最後に、今後の抱負と、研究者を志す若い皆さんにメッセージをお願いします。
T2K実験はまだまだ道半ばです。まずは、CP位相角の値をより絞り込むことで、ニュートリノでCP対称性が破れているのかどうかを見極めたい。その後、CP位相角の大きさを正確に決めることで、CP対称性の破れがどの程度の大きさなのかまで知りたいです。ビーム強度が上がってきたことで、その実現が、より確実に見えてきました。今後も、大強度ビームを用いたデータの蓄積と、2021年に予定されている前置検出器のアップグレードにより、着実に進めていきます。
若い皆さんには、どこに行っても大変なことはある。なので好きなことを、がむしゃらにやってほしいです。