プレスリリース

2019.08.23

中性子構造解析として最大の格子体積を持つタンパク質の解析に成功- より多くのタンパク質の水素原子が茨城県生命物質構造解析装置iBIXで観測可能に -

令和元年8月23日

茨城大学
茨城県
J-PARCセンター

【発表のポイント】

〇 茨城県生命物質構造解析装置iBIXを使用して、中性子解析としては過去最大の結晶格子体積を持つタンパク質(マンガンカタラーゼ)の単結晶構造解析に成功した。
〇 結晶格子長の観点から、中性子構造解析の汎用性が向上し有用酵素の開発や創薬などの応用範囲が広がる。

 

概 要

   茨城大学フロンティア応用原子科学研究センターの山田 太郎 産学官連携准教授らの研究グループは、大強度陽子加速器施設J-PARC(茨城県東海村)内の茨城県生命物質構造解析装置iBIXを使用して、中性子ビームによって構造決定されたタンパク質の中で最大の結晶格子(結晶の繰り返し単位構造)を持つ、高度好熱菌由来のマンガンカタラーゼの結晶構造解析に成功しました。

   タンパク質の反応の仕組みの解明には,反応に関与する水素・プロトンの観測が重要であり,この観測を行うには,中性子構造解析は非常に効果的な手法です。

   一般に結晶格子の体積が大きくなると,結晶からの回折点の数が増えて重なりを生じることや、測定する結晶に含まれる結晶格子の数が減り、回折強度が小さくなることで、精度よくデータを得ることが困難になります。特に中性子ビームはX線に比べると強度が小さいため難易度が高くなります。今回、茨城県生命物質構造解析装置iBIXでは、専用に開発した中性子検出器を使用して得られた回折データを積分する新たなソフトウェアの開発により、3辺が各々133 Å (= 13.3 nm)の結晶格子を持つタンパク質結晶の中性子構造解析に成功し、タンパク質中の水素原子を明瞭に観測しました。この結晶格子の体積は、中性子を使ってこれまでに報告された150あまりあるタンパク質の構造解析例の中で最大です。結晶格子の体積はタンパク質分子の大きさにも関係するため、従来よりも大きなタンパク質でも水素原子を観測できることにつながります。

   また,今回のタンパク質の中性子測定では,10日以上の測定時間が必要でしたが,J-PARCの出力が将来的に予定の1 MWに達した場合、測定時間を2日程度に短縮できることもわかりました。本研究結果は格子長やビーム強度の制限のため従来の中性子回折計では測定が不可能であったタンパク質の中性子結晶構造解析の可能性を大きく広げるものです。今後、より多くの種類の酵素の反応に関わる水素原子の役割の解明や重要なタンパク質複合体の相互作用における水素原子の観測などの基礎研究を通じて、産業用酵素開発や医薬品設計などに貢献することが期待されます。

   本成果は、2019年8月23日に国際結晶学連合IUCrが発行するJournal of Applied Crystallographyにオンライン掲載されます。

 

背 景

   中性子はX線と異なり水素原子により比較的強く散乱されるので、水素原子を可視化するのに有用です。単結晶に中性子を照射すると、水素原子を含めた分子の3次元構造を決定することができます。タンパク質は多くの水素原子を持っており、その周りは水分子で囲まれています。酵素(化学反応を触媒するタンパク質の総称)の多くは、水素原子を介して反応に必要な化合物や水分子と結合し、水素原子をやりとりすることで反応を進行させます。このため、タンパク質の重要な水素原子を観測して、タンパク質の機能の仕組みや化合物との間の結合を明らかにすることは酵素や医薬品の開発に有用です。茨城県生命物質構造解析装置iBIX(図1)は、この目的のために茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設 (J-PARC) の物質・生命科学実験施設 (MLF) のビームラインBL03に設置された単結晶専用の中性子回折計です。この回折計には専用に開発された新型シンチレーション型検出器が34台取り付けられています。この検出器は中性子ビームを照射した単結晶から散乱される中性子の一つ一つについて検出された場所と時間を記録することができる優れた装置です。

   単結晶に中性子ビームを照射したとき、結晶には3次元に規則正しく並んだ繰り返し単位構造(単位格子)が存在するため、多数の回折点が並んだ回折像が得られます。一般に単位格子の体積が大きくなると回折点の数が増えるため回折点間の間隔が狭くなり、重なりが生じやすくなるため回折強度の見積もりが難しくなります。また単位あたり結晶に含まれる繰り返し単位数が減るため、平均の回折強度は小さくなり、精度よく測定することが難しくなります。特に中性子ビームはX線に比べると著しく強度が小さく難易度が高くなります。iBIXは、J-PARC MLFの大強度パルス中性子の特性を活用した飛行時間型の中性子回折計で、世界でも測定例のない単位格子の3つの格子長が各々135 Å (= 13.5 nm)であるタンパク質結晶の構造解析用データの取得ができるよう設計されています。今回、この目標性能を実証するために、結晶格子体積が大きい高度好熱菌Thermus thermophilus HB27株由来のマンガンカタラーゼの中性子単結晶構造解析を行い、このタンパク質中の水素を明瞭に観察することに成功しました。

 

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1 茨城県生命物質構造解析装置iBIX

 

 

研究手法・成果

   中性子ビームの強度はX線に比べ弱いため、単結晶構造解析にあたっては大型の結晶が必要となります。今回、体積が1.3 mm3程度のマンガンカタラーゼの大型結晶(図2)の作製に成功しました。この結晶に、iBIXを用いて、実験当時150 kWで稼働していたJ-PARCの陽子加速器で加速された陽子による水銀の核破砕反応で生じる中性子ビームを照射しました。パルス中性子ビームは色々な波長の中性子を含んでおり、パルス中性子源から検出器に到達するまでの飛行時間は中性子の波長に比例します。専用の検出器30台を用い、結晶の方位を10回変えて、各方位で中性子ビームを30時間ずつ照射することにより、図3に示すような中性子回折データを計300本(= 30台×10回)得ることができました。図3の位置と飛行時間軸をもつ直方体の中の濃く見える斑点が単結晶からの回折点です。結晶格子が大きいタンパク質結晶では、この回折点の数が増えて間隔が狭まるために重なるものが生じます。そこで今回、一点一点の回折点の重なりを考慮する新しいソフトウェアを開発し、回折点の濃さを精度よく見積もりました。この中性子データと高エネルギー加速器研究機構(KEK)のフォトンファクトリーで得たX線回折データの両方を利用することにより、これまでの記録を2倍あまり更新する133 Å × 133 Å × 133 Åの結晶格子体積を持つ中性子タンパク質結晶構造解析に成功し、マンガンカタラーゼ中の重水素原子を明瞭に観測することができました(図4)。

   このiBIXの格子長の目標達成により、格子長だけに着目すれば、これまでにプロテインデータバンク(PDB)に登録されている14 万個のX線タンパク質構造解析例のうち6割程度がiBIXで測定可能となります。また結晶格子の体積はタンパク質分子の大きさにも関係するため、従来よりも大きなタンパク質でも水素原子を観測できることにつながります。なお、J-PARCの加速器出力が、測定時の6倍にあたる、定格である1 MWに達した場合、今回正味12日あまりを必要とした測定時間が2日程度にまで短縮される見込みです。本研究結果は、格子長やビーム強度による制限により、これまでの中性子回折計では測定が不可能であったタンパク質の中性子結晶構造解析の可能性を大きく広げるものであり、今後、より多くの種類の酵素の反応に関わる水素原子の役割の解明や重要なタンパク質複合体の相互作用に関わる水素原子の観測などの基礎研究を通じて、産業用酵素開発や医薬品設計などに貢献することが期待されます。

 

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2 マンガンカタラーゼの単結晶写真

 

 

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3 iBIXの一台の検出器で得られたマンガンカタラーゼの単結晶中性子回折データの一つ。この直方体中で濃く見える斑点が単結晶による回折点で、1000個以上存在する。飛行時間法では波長の異なる中性子により生じる回折点は時間方向に分解される。

 

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4 マンガンカタラーゼの結晶格子(左)と反応部位で観測された重水素原子(水色)の様子(右)

 

 

論文情報

タイトル : Single-crystal TOF neutron Laue methods: Application to manganese catalase from Thermus thermophilus HB27

著者 : Taro Yamada*, Naomine Yano, Takaaki Hosoya and Katsuhiro Kusaka

雑誌 : Journal of Applied Crystallography 52巻, 5号

 

用語説明

【大強度陽子加速器施設J-PARC】

   国立研究開発法人日本原子力研究開発機構と大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構が共同で茨城県東海村に建設した世界最大規模のビーム強度をもつ陽子加速器群と実験施設群の総称です。加速した陽子を原子核標的に衝突させた時に生じる中性子、ミュオン、K中間子、ニュートリノなどの二次粒子等を用いて、物質・生命科学、原子核・素粒子物理学などの最先端学術研究及び産業利用を行っています。J-PARC内の物質・生命科学実験施設MLFでは世界最高性能のパルス中性子およびミュオンビームを利用した実験を行うことができます。

 

【単位格子】

   幾何学的配置や逆の効果をもつ相互作用の競合によって、全ての相互作用エネルギーを最低にすることができない状況(どこかの相互作用に必ず不満が残る状況)。これを物理学では「フラストレーションがある」という。

 

【マンガンカタラーゼ】

   過酸化水素を水と酸素分子に分解する反応を触媒する酵素です。この酵素ではこの反応が起こる位置に二つのマンガンイオンが存在します。

 

【プロテインデータバンク(PDB)】

   現在までにX線、中性子、電子線による回折法や核磁気共鳴法により構造決定されたタンパク質やDNAなどの生体高分子の構造情報15万件以上を管理する国際的なデータベースです。

本件に関するお問い合わせ先

 <研究内容について>

茨城大学フロンティア応用原子科学研究センター

産学官連携准教授 山田太郎

Tel: 029 -352 -3244

E-mail : taro.yamada.impromptu[at]vc.ibaraki.ac.jp

 

<報道関係のお問い合わせ>

茨城大学 広報室(担当:山崎)

TEL:029 -228 -8008 TEL:029 -228 -8019

E-mail:koho-prg[at]ml.ibaraki.ac.jp

 

茨城県産業戦略部技術振興局科学技術振興課(担当:須賀川)

Tel: 029 -301 -2529

E-mail: info-neutron[at]pref.ibaraki.lg.jp

 

J-PARCセンター 広報セクション(担当:阿部)

TEL: 029 -284 -4578

E-mail: abe.minako[at]jaea.go.jp

 

※上記の[at]は@に置き換えてください。